近世の宮城県教育史 仙台藩で庶民にも開かれた学びの機会
俗に「伊達四十八館」といわれる分立支配が特徴的な仙台藩。分立制には、各地で風土や歴史に根ざした特色ある産業や文化が育つ利点があった。教育においても同様に、各地で藩士や庶民の学びの機会が開かれていた。藩校養賢堂とそこから独立した医学校、2つの郷学から当時を振り返る。
東北雄藩・仙台藩の養賢堂
学問の拠点として絶大な影響力
戦国大名のなかでもよく知られる伊達政宗が樹立した仙台藩(伊達藩)の藩主たちは、代々学問を好み、5代藩主吉村のときに藩校の基礎がつくられた。儒者高橋玉斎(ぎょくさい)の提案を受けた吉村は1736(元文元)年、仙台城下に学問所・明倫館養賢堂を設立し、玉斎を初代主立(おもだつ)(後の学頭)にあてた。設立当初は熱心に学ぶ諸生も大勢いたが、やがて衰退していった。
7代藩主重村は再興を図るため、学業優秀者を藩費で江戸に遊学させるなどして学問を奨励し、1772(安永元)年には名称を養賢堂に改めた。その後、…
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