近世の岐阜県教育史 世代を重ねて醸成された学風
大藩がないため、はっきりしたお国ぶりが見られないと言われる美濃・飛騨だが、岩村藩の例からは、教育の伝統に規模の大小は重要でないことがうかがえる。庶民の間にも向学心が芽生えていたほか、今に至るまで大きな影響を与えた大著が生まれるなど、豊かな教育的土壌が育まれていた。
美濃国初の藩校知新館
「文教の藩」の名を高める
出典:Wikipedia(八幡鋼太郎 - 投稿者自身による作品, CC0, Wikipediaによる)
美濃国初の藩校が生まれたのは、当時わずか2万石の小藩だった岩村藩である。藩校知新館を中心に教育が栄え、やがて岩村藩は「文教の藩」と呼ばれるようになった。藩政の安定には有能な人物が不可欠と考えた藩主・松平乗紀(のりただ)は、まず前身となる文武所を岩村城下に創設し、藩士に学問と武芸を奨励した。ただし、当初は熱心に学問に励む藩士は決して多くはなく、講釈に出席するよう通達を出さなければならないなど、乗紀の理想からは遠いものだった。
知新館が学校としての形態を確実にとるようになったのは、乗紀の子・乗賢(のりかた)の代になってからと推定される。藩命によって藩士の師弟は8歳で必ず入学し、特別な事情がない限り、…
(※全文:2568文字 画像:あり)
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