近世の群馬県教育史 藩校による文武両道と農村の庶民教育
群馬県の旧上野国(こうずけのくに)では、諸藩主家のほとんどは譜代大名であったため、その領主統治力は比較的弱いものだった。その分、多彩な地場産業が発達し、その影響は庶民の教育にも及んだ。前橋と安中における藩校の歩みとともに、農村部の寺子屋の様子を通じ、上野国の近世教育を垣間見る。
上野国初の藩校好古堂藩主による文武両道の奨励
出典:Wikipedia
上野国の諸藩内における最初の藩校は、前橋藩5代藩主の酒井忠挙(ただたか)が創設した好古堂(こうこどう)である。学問を好んだ忠挙は、儒教思想を政治の理想とし、藩主となった翌年の1682(天和2)年、藩政を引き締めようと、前橋藩家中の諸制度ともいうべき15カ条の「戒め」を発令した。そこには「文を学び、武を励み、礼を重んじ、風俗を乱さない」「倹約を実行し、資産を無駄にしない」などとあり…
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