近世~近代の愛媛県教育史 『坂の上の雲』秋山兄弟が学んだ藩校
江戸時代の伊予八藩には、幕府の教学である朱子学が盛んに学ばれた松山藩の明教館と、陽明学を広めた大洲藩の止善書院明倫堂という対象的な藩校があった。加えて、今も生き続ける伊予最古の図書館・古学堂文庫の様子を通し、近世〜近代における伊予国の教育の一端を振り返る。
伊予初の藩校・止善書院明倫堂
藩士や庶民が広く陽明学を学んだ
出典:Wikipedia(不明 - 『国指定重要文化財如法寺仏殿保存修理記念 如法寺 大洲に残された盤珪禅の歴史と心』大洲市立博物館編 如法寺所蔵, パブリック・ドメイン, Wikipediaによる)
伊予八藩の中で最初に藩校が設立されたのは大洲藩である。その際に中心的な役割を果たしたのは陽明学者の川田雄琴(ゆうきん)である。雄琴は江戸に生まれた下級武士だったが、学問で身を立てようと陽明学者の三輪執斎(しっさい)に師事し、頭角を表した。
わずか12歳で家督を継いだ大洲藩5代藩主の加藤泰温(やすあつ)は、若い頃から学問好きで、下谷(東京都台東区)にあった大洲藩の江戸屋敷に執斎を招いて講義を受けた。感銘を受けた泰温は、執斎に大洲藩の儒官となってくれるよう要請したが、老齢と病気を理由に執斎はこの申し出を断り、…
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