【文科省議事録詳報】270億円で産学変える「INSIGHT」 問われる6年後の自走力

2026年6月23日、文部科学省は「産業・科学革新人材事業(INSIGHT)」ガバニングボード第1回会合(2026年4月3日開催)の議事録を公式ウェブサイトで公開した。日本の科学技術人材政策が、これまでの延長線上では描けない規模の改革に踏み込んだ内容だ。同省は同会合で令和7年度補正予算に措置された270億円の基金を活用した同事業の基本方針を策定した。同事業では約20大学を選定し、6年間にわたって研究開発と人材育成を一体的に支援する。実施機関である国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)は同年4月28日より対象大学の公募を開始しており、締め切りは6月24日正午だ。

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「新技術立国」という言葉が政策文書に並ぶ一方、日本の人的資本投資は諸外国に比べて著しく低く、大学と企業の間の人材交流は依然として細い。産学連携の件数は増えているものの、1件あたりの共同研究費は300万円未満が多数を占め、規模の拡大が長年の課題として積み残されてきた。INSIGHTはその構造に直接メスを入れる制度設計となっている。

三つの基本方針と五つの要件が骨格

事業の骨格を支えるのは、「産学官による先端技術分野設定」「産業界から大学への投資拡大」「大学の人事給与マネジメント改革」という三つの基本方針だ。これを実現するために、支援を受ける大学には五つの要件すべてを満たすことが求められる。

第一に、クロスアポイントメント制度や兼業・サバティカル制度を通じた人材の双方向交流の実現であり、企業が大学教員の人件費の一部を直接負担する仕組みを初めて制度として組み込んでいる。第二に先端技術分野における新たな研究者・技術者の育成・確保、第三に大学院生・学部学生を対象とした実践的な教育プログラムの開発・推進、第四に産学協働を支える学内専門組織・体制の整備、第五に民間投資を拡大するための大学側の新機能・仕組みの構築だ。

支援対象は物理・工学、資源・エネルギー技術、機械・電子、情報・通信、生命科学・化学の五領域で、政府が掲げる17の成長戦略分野と整合させた区分けとなっている。支援額は大学の事業規模や実績・計画に応じて二つの類型に分かれており、類型1が最大5億円、類型2が最大3億円(いずれも1件・年度あたり、間接経費30%を含む税込)。支援期間は2026年度から2031年度までの6年間を想定している。

産学連携の壁の正体は「人件費」

第1回ガバニングボードには、旭化成株式会社取締役 副社長執行役員(研究・開発、DX統括)の久世和資氏と、2026年4月1日付で国立研究開発法人情報通信研究機構(NICT)理事長に就任した大野英男氏がオブザーバーとして参加し、それぞれ事業推進委員会のプログラムオフィサー(PO・副PO)を担う立場から率直な見解を示した。

久世氏は日本IBM時代の経験も踏まえながら、日本企業が基礎研究への投資に消極的な構造的問題を指摘した。IBMが2017年9月にマサチューセッツ工科大学(MIT)と「MIT-IBM Watson AI Lab」を立ち上げ、AI分野で10年間・2億4,000万ドル(約240億円)を投資する連携プログラムを始動させた事例を示しながら、「大学と企業が本気で組む」ことの意味を語った。旭化成においても、2019年から東京工業大学(現・東京科学大学)との産学協働プラクティススクールを運営してきた実績がある。さらに2017年より名古屋大学 天野・本田研究室との間で深紫外線レーザーダイオードの共同研究を進め、その成果を基に2025年8月、旭化成発のスピンアウトベンチャーとしてULTEC株式会社(ウルテック、愛知県名古屋市)を設立した経緯も紹介した。

産業界の委員からは、共同研究契約に人件費を積む慣行がいまだ定着していないという指摘が繰り返された。国立研究開発法人産業技術総合研究所でも民間資金の設定に人件費を組み入れようとする際、企業側との交渉で壁に直面することがあるとされており、「大学がマンパワーをただで供給していく形では自走化はない」という認識が委員間で共有された。文部科学省科学技術・学術政策局人材政策課の奥課長は、毎年度の評価やガバニングボードの場を通じて直接経費の積み方を含む良好事例を横展開していく方針を明示した。

6年後の自走化をめぐる問いが議論の核心に

議論の中でとりわけ繰り返し問われたのが、「6年後、国の資金がなくなったときにこの仕組みは続くか」という点だった。

大野英男NICT理事長は、プログラム終了後のイメージを最初から産学で共有することの重要性を強調した。大学側が「価値を提供し、その対価を得る」という感覚を制度として持てるかどうかが鍵になるとし、東北大学で運用が始まった「知的貢献費」(間接経費とは別枠で教員給与に上乗せする仕組み)を参照事例として挙げた。大学院生の産学間の機微情報へのアクセス制限やセキュリティ管理については、大学が法人として対応体制を整えることが不可欠とも述べており、ガバナンス変革なしに自走はないという視点を示した。

一方、産業界代表の委員は「最初から要件をすべて満たすことを目的にしてはいけない」とも指摘した。参加ハードルを下げながら、企業も大学もこの枠組みの有効性を実感する3年間・6年間にすることが、民間投資の恒常化につながるという論点だ。

博士学生を研究者として正当に処遇する

従来、博士後期課程学生は「学生」として位置づけられ、研究への貢献に見合った対価を受け取れない構造が続いてきた。INSIGHTではリサーチ・アシスタント(RA)として博士後期課程学生を雇用し、適正な報酬を支払うことを明示的に求める方針が示された。文部科学省はこれを単なる支援策にとどめず、「この事業で先例をつくり、慣行として定着させる」と位置づけている。

委員からは、博士人材が修士修了後よりも高い収入と明確なキャリアパスを描けない限り、進学者数の増加は望めないという指摘が相次いだ。企業の人事制度として博士資格をスキルレベルと連動させる仕組みの導入も、今後の検討課題として俎上に上がった。

評価体制と今後の公募スケジュール

実施体制として、文部科学省のガバニングボードのもとにJSTが事業運営委員会を設置し、PO・副POと複数のアドバイザーが審査・進捗管理・評価を担う。採択大学は毎年度の進捗報告を義務づけられ、事業開始から3年後に中間評価、6年後に事後評価が行われる予定だ。公募は2026年6月24日正午に締め切られ、書面審査・面接審査を経て同年9月以降に結果が通知される。プロジェクトの開始は10月以降の想定だ。毎年度の成果報告会には採択大学・参画企業のほか、関心を持つ企業も広く参加を募り、産学マッチングの場としても活用する方針だ。経済産業省もオブザーバーとして参画しており、博士人材の処遇改善や間接経費の在り方については両省が連携して取り組む。

人材の流動性を高め、大学が民間資金を獲得できる組織へと変わり、企業が基礎研究に本気で投資する。INSIGHTはその三つを同時に動かそうという試みだ。どれか一つが止まれば機能しない設計でもある。6年後に「自走化」という言葉が空語にならないかどうかは、最初の公募でどれだけ質の高い産学の提案が集まるかにかかっている。