埼玉県教育長 予測が困難な時代、「確かな学力」「自立する力」を育む

埼玉県では、子供たちがこれからの時代を生き抜く力を育むために、「確かな学力」や「自立する力」を育成するとともに、不登校等を含めた多様なニーズに対応した教育を推進している。埼玉県の教育行政の取組と方向性について、県教育長の日吉亨氏に話を聞いた。

県独自の学力・学習状況調査で
一人一人の学力を伸ばす

日吉 亨

日吉 亨

埼玉県教育委員会 教育長
1964年生まれ。1987年、埼玉大学教育学部を卒業。埼玉県立越谷南高等学校教頭、埼玉県立川口東高等学校長、埼玉県教育局県立学校部県立学校人事課長、県立学校部副部長、県立学校部長、埼玉県立浦和高等学校長などを歴任。2023年6月、埼玉県教育委員会教育長に就任。

──埼玉県では教育行政の目指す理念や方向性について、どのように描かれていますか。

2019年度~2023年度を計画期間とする第3期埼玉県教育振興基本計画では、基本理念として「豊かな学びで 未来を拓く埼玉教育」を掲げています。

超スマート社会に向けた技術革新、高齢化の進展や国際情勢の変化、気候変動など、社会は急速に変化しています。かつては目指すべき目標が比較的明確で、教育も与えられた目標や正解に向けて行われてきました。しかし、将来の予測が困難な時代においては、子供たち自らが主体的に解を見出す力が欠かせません。

本県では、子供たち一人一人が主体的に社会と関わり、多様な人々との交流を通じて、新たな価値を創造し、人生や社会の未来を切り拓くことのできる力の育成を目指しています。第3期の基本計画は最終年度を迎え、現在、次期計画の策定に向けて検討を進めているところですが、方向性としては第3期の基本理念を踏まえ、子供たちがこれからの時代を生き抜く力を育むことを目指すものになります。

──第3期埼玉県教育振興基本計画では、目標の1つとして「確かな学力の育成」を掲げています。

「確かな学力の育成」に向けて、大きく2つの取組を進めています。

1つは、県内公立小・中学校等で2015年度から実施している県独自の「学力・学習状況調査」です。同調査では、小学校4年生~中学校3年生までの児童生徒の1年間における学力の伸びを、IRT(項目反応理論)を用いた学力調査で測定しています。

また本県では、学習意欲や学習方法、生活習慣などに関する質問調査を実施し、児童生徒の自己効力感(自分はそれが実行できるという期待や自信)、自制心(自分の意思で感情や欲望をコントロールすることができる力)や勤勉性(やるべきことをきちんとやることができる力)など、非認知能力を測定しています。

学力調査と質問調査の結果をクロス分析することで、より効果的な学習支援が可能になります。調査結果からは、低学年時に学力に課題があると、その後の学力が伸び悩む傾向が見られました。

このことから、今年度は特に小学校低学年の学力向上に力を注いでいます。具体的には、県学力・学習状況調査の結果をもとに、学力を伸ばしている教員を明らかにし、その授業を動画にして各学校の研修などで活用しています。また、学力に課題を抱える学校に指導力のある教員を配置し、低学年を担当する教員にも学力向上に効果的な授業等のノウハウを共有しています。

さらに、成績中位層を含めた児童生徒の学力向上に「主体的・対話的で深い学び」が効果的であることから、校内研修用の学習指導プログラムや指導者用のアドバイスシートを作成し活用を促すなど、教科指導の充実を図っています。

県学力・学習状況調査は2024年度に紙媒体による調査から、タブレット端末等を活用したCBT(コンピュータを使った試験方式)への全面移行を目指し、今年度は希望のあった一部自治体においてCBTで実施しています。

「確かな学力の育成」に関するもう1つの重点施策は、県立高校における探究学習の充実です。「総合的な探究の時間」において、生徒自らが日常生活や社会のなかで湧いてくる疑問や関心に基づいて課題を見つけ、情報を収集し、それを整理分析して、お互いにアイデアを出し合いながら課題解決を考えていく授業を行っています。

探究学習は地域の企業や専門家と連携しながら進めており、生徒たちが実社会を経験する機会になっています。私は今年3月まで県立浦和高校の校長をしていましたが、10代のうちに、いわゆる“本物”に触れることはとても大切だと考えています。“本物”に直接触れることは、テキストや動画では伝わらない価値があり、大きな学びをもたらします。

探究型インターンシップや
起業家教育で育む「自立する力」

──第3期埼玉県教育振興基本計画では、「自立する力の育成」も目標の一つに掲げています。

これまで小・中学校では学校単位で個別に取り組む事例はありましたが、今年度から市町村単位で総合的に取り組む事業を立ち上げました。SDGsの17のテーマの中から地域の特性や課題に応じてテーマを選定し、地域企業やNPOなどとも連携して探究学習に取り組むことで、自立する力を育んでいます。

高校生が企業で仕事をしながら課題解決に取り組む「探究型インターンシップ」を実施。

高校生が企業で仕事をしながら課題解決に取り組む「探究型インターンシップ」を実施。

また、県立高校においては、生徒が社会人としての基礎的な力を身につけられるように、今年度から新たに2つの取組を実施しています。1つは探究型インターンシップです。生徒があらかじめ探究テーマとなる課題を設定し、企業で仕事をしながら課題解決に取り組みます。学校での「総合的な探究の時間」等で身に付けた力を実社会で活用する経験を積んでいます。探究型インターンシップは現在17のプログラムがあり、全ての県立高校生が参加できます。

生徒たちがビジネスプランの作成に挑戦する「高校生ビジコンCafé」を開催。

生徒たちがビジネスプランの作成に挑戦する「高校生ビジコンCafé」を開催。

もう1つは起業家教育です。埼玉県と埼玉県教育委員会は、日本政策金融公庫との共催により、今年度新たに「高校生ビジコンCafé」を開催しました。県内の高校生33人から申し込みがあり、ビジネスプランの作成に必要なロジカルシンキングや課題発見・解決の考え方などを学び、様々な高校から集まった生徒とディスカッションを重ね、プランをブラッシュアップしました。最終日には集大成として、生徒たちが自分のプランのプレゼンテーションを行いました。

日本政策金融公庫は全国の高校生を対象とした「高校生ビジネスプラン・グランプリ」を開催しており、参加者には「高校生ビジコンCafé」で策定したビジネスプランをもって、ぜひグランプリに挑戦してほしいと期待しています。

──ICT教育については、どのような取組を進められていますか。

学校現場で一人一台端末の活用が進められている。

学校現場で一人一台端末の活用が進められている。

ICT教育の取組は、県内の各市町村・各学校によって進捗に差があるのが実状です。全体の底上げを図るために、ICT活用プロジェクトを推進しています。ICT活用指導力の向上に向けて、授業モデルを公開するとともに、市町村を越えて教員同士のネットワークを構築し、実践事例や課題を共有しています。また、県立総合教育センターのホームページにおいて、先生方が指導にすぐ活かせるようにICT活用のポイントや留意点、手順などを示した「ICT活用レシピ」を提供しています。

ICT教育の充実のためには、学校現場でICT活用を牽引する教員リーダーがいることも重要です。ICT活用プロジェクトでは今年度、教員リーダーを養成するプログラムを実施しており、各学校でICT教育を広げていきます。

多様な教育機会を確保し、
不登校支援に力を注ぐ

──昨今、全国的に不登校の児童生徒が増加しています。埼玉県では、どのような対策を進められていますか。

本県でも不登校の増加は大きな課題です。2021年度の調査によると、県内の公立小・中学校における不登校の児童生徒数は1万人を超えました。

2016年に制定された教育機会確保法に基づき、文部科学省は不登校児童生徒等に対する教育機会の確保に関する基本方針を示しています。不登校により教育機会が失われることは大きな問題であり、様々な機関と連携して教育機会の確保に努めています。

各市町村では教育支援センター(適応指導教室)を設置し、指導主事等を配置して保護者や生徒を支援しています。県でも不登校の子を持つ親の会や民間団体等を構成員とする「官民連携会議」を定期的に実施し、情報交換を行っています。

昨年度、不登校生徒支援教室「いっぽ」を開設した。

昨年度、不登校生徒支援教室「いっぽ」を開設した。

また昨年度、モデル事業として県立戸田翔陽高校の校舎内に不登校生徒支援教室「いっぽ」を開設しました。「いっぽ」では戸田市教育委員会と連携し、戸田市立中学校在籍の不登校生徒等を対象に、心の悩み相談や学習支援を実施しています。

「いっぽ」には相談したいときに、相談できる先生がいますので、自分のペースでじっくり考えながら自習できるとともに、体験活動や不登校を経験した先輩との交流会を実施しています。こうした取組は少しずつ成果をあげており、昨年度は「いっぽ」に通っていた生徒全員が高校に進学しました。

戸田翔陽高校の敷地内には特別支援学校が併設されているので、その先生方にも手伝っていただき、多角的に幅広くいろいろな支援を実施しています。

この「いっぽ」で実践した取組を今年度はさらに広げていくために、県立高校3校の協力を得て地元の教育支援センターと連携した様々な支援を始めています。さらに今年度から県と市町村が不登校に関する情報を交換・共有する協議会を立ち上げました。

不登校児童生徒に対する効果的な教育活動について実践研究するとともに、得られた成果や課題に対する対応など不登校支援の好事例を市町村へ発信することで、支援体制の更なる充実を図っていきます。

教職員の働き方改革を推進、
「日本一働きやすい」県を目指す

──教職員の働き方改革について、どのような取組を進めていますか。

県教育委員会では、2019年9月に「学校における働き方改革基本方針」を策定し、2022年度に同方針を改定しました。新たな基本方針では、2024年度までに全ての教員が時間外在校等時間(いわゆる超過勤務時間)を月45時間以内、年360時間以内にするという目標を掲げています。また、「『日本一働きやすい』『埼玉の先生になりたい』と言われる埼玉県を目指して」を本県の目指す教職員の働き方として打ち出しています。

2021年度に全校種で実施した勤務実態調査によると、勤務時間外に「部活動」「授業準備」等に従事している実態があります。本県はスポーツが盛んな県であり、これまで多くの中学校で部活動の朝練習が行われていました。教職員の負担を軽減するため、始業前の朝練習は原則行わないよう働き掛けており、現在、約7割の市町村の中学校で朝練習が見直されています。また、県立学校では、各学校の状況を踏まえながら、「ノー部活デー」を設定しています。

外部人材の活用も進め、部活動指導員や教員業務支援員(スクール・サポート・スタッフ)を拡充しています。児童生徒の登下校時の見守りについても、地域の方々に御協力いただくことで教職員の負担軽減を図っています。

そのほかにも校務のデジタル化により事務や会議等の効率化を図るほか、全ての学校で「学校閉庁日」を5日以上設定するよう努めるなど、様々な取組を進めています。今後も県教育委員会と市町村教育委員会、学校が一体となり、学校における働き方改革をより一層推進していきます。

──日吉教育長は県立高校等の教員を経て、今年6月に県教育長に就任されました。これから求められる教育について、どのように考えていますか。

私は高度経済成長期に生まれて、バブルが崩壊する少し前に教員になりました。私が受けてきた教育は、経済が右肩上がりの時代の教育で、良い大学に入るために勉強し、一流企業への就職を目指すという比較的わかりやすいキャリアがロールモデルとされていました。

しかし現在、経済が低迷し、何が正解なのかわからない時代となっています。子供たちは変化の激しい社会を生き抜くために、自ら答えを見いだし解決する力、主体性を持って多様な人々と協働できる力が求められます。

こうした時代に県教育長を拝命して、子供たちの力を伸ばしていくことに対する責任を感じる半面、やりがいも感じています。子供たち一人一人が、その能力と可能性を開花させられるように、本県の教育を前に進めていきたいと考えています。