【議事録詳報・後編】科学技術・学術審議会・大学研究力強化部会第7回 「現状維持は後退」問われる人材像
文部科学省は2026年6月17日、同年4月22日に開催された科学技術・学術審議会・大学研究力強化部会第7回会合の議事録を公式サイトで公開した。前編では経済産業省イノベーション・環境局大学連携推進室長の川上悟史氏による政策の説明を詳報した。後編では、慶應義塾長の伊藤公平氏とAeroEdge株式会社取締役 兼 執行役員COO/CTOの水田和裕氏による発表、そして総括質疑を取り上げる。
国を頼らない自立経営
伊藤公平塾長は2021年5月28日に就任し、2025年5月27日の理事会で再び塾長に選任された。部会での発表は、私立大学として自立経営を徹底してきた慶應義塾の実践録だった。
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伊藤塾長が強調したのは、建学の精神に立ち返ることの重要性である。福澤諭吉が唱えた「国を支えて国を頼らず」という気概のもと、民間資金を軸とした運営を進めてきた。2023年度の事業活動収入に占める経常費等補助金の割合は7.6%で、全国の私立大学の平均を大きく下回る。国の補助に依存しない収支構造が、数字にも表れている。
研究力強化の柱の一つが、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)である。慶應義塾大学の「ヒト生物学-微生物叢-量子計算研究センター(Bio2Q)」は、2022年10月に私立大学として初めてWPIの拠点に採択された。日本で初めてのマイクロバイオーム研究拠点であり、従来の生物学的手法に量子コンピューターの技術を組み合わせて、微生物叢とヒトの複雑な相互作用を分子レベルで解き明かそうとしている。
量子コンピューティングの分野では、競合する複数の銀行が同じ研究室に参加して共著論文を書くという連携も生まれている。伊藤塾長はこれを、大学という中立の立場だからこそ、本来ライバル関係にある企業が一緒に入ってこられるのだと説明した。
民間資金だけで回すVC
スタートアップ支援では、2015年12月に設立された大学公式ベンチャーキャピタルの株式会社慶應イノベーション・イニシアティブ(KII)が中核を担う。ファンドは、2016年7月に運用を始めた1号が45億円、2020年1月に設立した2号が103億円、2023年10月に設立した3号が202億円と規模を広げてきた。3号は「KII3号インパクト投資事業有限責任組合」といい、大学のベンチャーキャピタルとしては初のインパクトファンドである。国の支援を入れず民間資金だけでベンチャー支援を行っている点が他大学との違いだと、伊藤塾長は述べた。
成果も数字に表れている。慶應義塾発スタートアップの資金調達総額は全国の大学でトップに立ち、企業数でも上位を占める。経済産業省の令和7年度大学発ベンチャー実態等調査によれば、2025年10月時点で473社が確認され、東京大学の595社、京都大学の503社に次ぐ全国3位、私立大学では最多である。
財務面では、専門家を集めて運用ポートフォリオを見直し、資産運用の成果を大きく伸ばした。2023年度の受取利息・配当金は85億円で、前年度の48億円から大幅に増えている。大学病院も経営を支える柱で、2024年度の手術件数は17,133件と国内でも最大規模にある。法人全体の事業活動収入は2019年度の1,695億円から2023年度には1,888億円へと、4年間で約1割伸びた。
AIを全学の基盤に
AIキャンパス構想として語ったのは、研究、事務、教育のすべてにAIを実装する試みである。慶應義塾はAIを全学的な知的インフラと位置づけ、世界最高峰のAIキャンパスを3年以内に形づくることを掲げる。その一環として、2026年2月25日にNotion Labs Japan合同会社と包括的連携覚書を締結し、創立から168年にわたり蓄積してきた知識と業務情報を統合的に管理する基盤づくりに着手した。世界の第一線との接点づくりも進めており、2023年6月にはOpenAIのSam Altman CEOが三田キャンパスを訪れ、1,000名を超える学生が対話に参加している。伊藤塾長はこうした取り組みを実験と位置づけ、成果と失敗の両方を日本の大学界に共有したいと述べた。
残された三つの課題
伊藤塾長が課題として挙げたのは三点である。第一に、世界から研究者が集まる環境で自前のデータ基盤を確保し、データの帰属を保ちながら共同研究を進める体制づくり。第二に、個々の研究者の独立を重んじてきた慶應義塾の文化のもとで、野心的な研究に挑むための大規模な設備や資金をまとめるユニット化の推進。第三に、最長8年という塾長任期のなかで積み上げた実践を次の執行部へ引き継ぐ経営の継続性である。
大学院の強化も急務だと語った。慶應義塾大学の在籍者は学部が約2万8,700人に対し、大学院は約4,800人で、両者に占める大学院生の割合は約14%にとどまる。私立大学が理系大学院を強化するのは学費の面からも難しく、次世代研究者挑戦的研究プログラム(SPRING)の効果で理工学研究科の博士進学者は伸びているものの、さらに進めるには基盤づくりが要るという。
人材の空白
栃木県足利市に本社を置くAeroEdge株式会社は、フランスの航空機エンジンメーカーであるSafran Aircraft Engines社から、次世代航空機用エンジン「LEAP」に搭載されるタービンブレードの国内初の長期量産サプライヤーに選定された企業で、2023年7月4日に東京証券取引所グロース市場へ上場した。
同社の取締役 兼 執行役員COO/CTOである水田和裕氏は、同志社大学工学部エネルギー機械工学科を首席で卒業し、同大学院博士前期課程を修了。コーネル大学ファイバーサイエンスプログラムの研究員を経て、デューク大学大学院で技術経営修士(MOT)、ケンブリッジ大学ジャッジビジネススクールでMBAを取得した。2008年10月にトヨタ自動車株式会社へ入社し、燃料電池車MIRAI向けの軽量材料開発などを担当。2015年11月に株式会社ZMPへ移って自動運転タクシー事業に携わり、2017年1月にAeroEdgeへ執行役員CTOとして入社した。2020年7月から現職を務め、東京都立大学大学院システムデザイン研究科の博士後期課程を修了して博士(工学)を取得している。
水田氏が部会で掲げた「日本CTO必要論」は、博士号レベルの専門性と経営戦略の理解、そして強いリーダーシップを兼ね備えたCTOが国内に一定数存在すれば、日本の成長は大きく変わるという主張である。CTOは企業の技術部長や研究部長とは異なり、経営陣の一角として科学技術と事業戦略をつなぐ。国のレベルでは科学技術政策の目利きとして、大学では産学連携の戦略立案者として、企業では市場創出を主導する存在として、それぞれCTO機能の強化が要ると論じた。
水田氏が特に問題視したのは、ソフトウェアやAIの分野では博士研究者から製品開発への橋渡しが比較的うまく働く一方、ハードウェアを伴うDeep Techの分野ではそれが機能していないという非対称である。ジェットエンジン部品の量産や合金開発のような領域では、試作から量産へ移る段階で、品質管理や規制対応、倫理審査、国際市場への接続といった研究室とは別の論理が働く。これらを横断して理解し実践できる人材が、日本には圧倒的に少ないと指摘した。
解決策として水田氏が挙げたのは、大学院教育にマネジメントや戦略論を組み込むことと、大企業とスタートアップ、大学研究機関の間で人材の流動を高めることである。自身もトヨタ自動車での育成経験なしにスタートアップでの活動はなかったと語り、大企業が積み上げてきた人材育成の蓄積を軽んじず、スタートアップとの交流によって双方が強くなるエコシステムを築くことが重要だと述べた。那須保友委員(岡山大学長)との対話では、博士課程の学生にプロジェクトマネジメントの力を教えることへ賛意を示しつつ、研究に専念せよと諭す教員も少なくない現状を踏まえ、教員側の意識改革も含めた大学全体の変化が必要だと応じた。
総括質疑が示した三つの問い
質疑応答で浮かび上がったのは、三つの本質的な問いだった。
一つ目は、プロデューサー人材をどこから育てるかである。大野英男部会長代理(国立研究開発法人情報通信研究機構理事長、東北大学総長特別顧問)は、産学をつなぐプロデューサー人材の不足こそ最大のボトルネックだとして、育成の出発点を問うた。伊藤塾長は、公的資金と民間資金の両方を中途半端に求めると焦点が分散するという経験から、民間資金を優先して獲得し、国の資金はその後に位置づけるという慶應義塾の方針を紹介した。
二つ目は、次の時代を先導する転換をどこから仕掛けるかである。河原林健一委員(国立情報学研究所情報学プリンシプル研究系教授)は、情報系やデータサイエンス系の大学定員が欧米で急拡大したことが今のAI産業の人材基盤をつくったと指摘し、その波に日本が乗れなかったことを問題視したうえで、私学のなかで最も余力のある慶應義塾が先頭に立つべきではないかと問うた。伊藤塾長は、既存の情報工学科の定員を増やすだけでは、生成AIが高度なコーディングをこなす時代に追いつけないとしたうえで、答えのある問題は生成AIが解く時代だからこそ、人間にしかできない領域を生み出すことに集中すべきだと述べた。国が掲げる17の戦略分野に対応するだけでなく、次の成長分野そのものを自らつくることが目標だと語った。
三つ目は、組織を支える人材をどう評価し育てるかである。西村訓弘委員(三重大学大学院地域イノベーション学研究科教授)は、自立した組織を保つには人材像の明確化と評価制度の整備が欠かせないのではないかと問うた。伊藤塾長は、福澤諭吉の「進まざるは必ず退き、退かざるは必ず進む」という言葉を軸に、現状維持を志向した瞬間に後退が始まるとして、事務職員も含めた全構成員と4年間対話を重ねてきたと述べた。もともと着実で優秀な組織だからこそ、その強みに甘えず、攻めの姿勢へ変え続けることに力を注いできたという。水田氏は、AeroEdgeでトヨタ生産方式を長く導入してきた経験から、人間尊重とチームワークを評価基準の核に据え、ビジョンを語り続けることが組織文化の醸成につながると述べた。
千葉一裕部会長(国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構理事長)は閉会にあたり、伊藤塾長の言葉を引き取る形で、現状維持を考えた時点ですでに後退が始まるという指摘はどの分野でも共有すべきメッセージだと述べた。同時に、慶應義塾やAeroEdgeの取り組みがすべての大学や企業にそのまま当てはまるわけではなく、各組織が独自の強みと路線のもとで前進することこそ、多様で厚みのある研究大学群と産業エコシステムの形成につながると結んだ。