「ワークフォース・エコシステムへ」への転換 労働経済学からの構造分析
メンバーシップ型雇用が限界を迎える中、正社員に加え外部専門人材・ネットワーク人材を組み合わせる「ワークフォース・エコシステム」への転換を、労働経済学の視点から展望する。
はじめに:
企業の境界が揺らぐ時代
鶴 光太郎
大妻女子大学 データサイエンス学部 教授
1960年生まれ。東京大学理学部数学科卒、オックスフォード大学経済学博士。経済企画庁、OECD経済局、経済産業研究所、慶應義塾大学大学院商学研究科教授などを経て、2025年4月より大妻女子大学データサイエンス学部教授。専門は比較制度分析、労働市場・雇用システム。『人材覚醒経済』で日経・経済図書文化賞受賞。
20世紀後半の日本企業は、いわゆる終身雇用・年功序列に象徴される「日本的雇用システム」によって、高度経済成長と国際競争力を支えてきた。しかし1990年代以降、日本型雇用システムが機能する前提条件が崩れつつある。
近年、企業の人材戦略は大きく変化している。副業人材、フリーランス、アルムナイ(退職者ネットワーク)、さらにはAIエージェントなど、企業の外部に存在する多様な労働資源を組み合わせる「ワークフォース・エコシステム」という考え方が注目され始めている。これは企業内部に閉じた人材システムから、企業境界を越えた人的資源のネットワークへと移行する試みといえる。本稿では、日本的雇用システムの構造的変容を整理しつつ、労働経済学の観点から企業が外部人材を含む新たなワークフォースを構築する際の課題と展望を検討する。
日本的雇用システムの制度疲労
日本的雇用システムの特徴として、特に大企業・正社員に着目すると、労働経済学では、①長期雇用(終身雇用)、②後払い賃金(年功序列)、③遅い昇進、といった3つの要素が着目されてきた。しかし、より本質的には、職務、勤務地、労働時間(残業)において人事部が強い裁量権を持つメンバーシップ型雇用という仕組みが重要である。この仕組みの下では、新卒一括採用によって同質的な人材を企業内部に取り込み、職務を限定せず配置転換を行うことで組織内の柔軟性を確保してきた。
この制度は高度成長期の環境と強く補完的であった。すなわち、①マクロ経済・市場の安定的な拡大、②豊富な若年労働力、③漸進的技術革新、という条件下では、長期的な人材育成と組織内調整を重視する仕組みは合理的だったといえる。
しかし現在、こうした雇用システムは複数の構造要因によって揺らいでいる。第一は、不確実性の増大である。1990年代以降の低成長と経済の不安定化、「想定外」の状況の頻発により、正社員を中心とする雇用システムでは、企業は固定的な人件費を抱えるリスクが大きくなり、そうしたリスクを回避する必要性が高まった。このため、今世紀に入ってベースアップゼロといった賃金抑制や「労働投入のバッファー」として有期雇用が活用されるようになった。
第二は、人口構造の変化である。少子高齢化により、従来の新卒採用の正社員だけでなく、女性、高齢者を含めて人材の量を確保するためにその多様化が求められるようになった。
第三は、イノベーションの急速な進展である。特に、DX、AIなどの予想を超える進歩に対して企業の中で対応できる人材が決定的に不足している。企業は特定の専門スキルを持つ人材を必要とするようになったにも関わらず、部署を2~3年で異動するメンバーシップ型の下ではそうした専門性を磨くことは難しい状況である。
正社員と外部人材の最適組合せ
「ワークフォース・エコシステム」の提案
労働経済学では、企業がどのような人材を内部雇用し、どの人材を外部から調達するかは「人的資本の特殊性」によって説明される。まず、企業特殊的人的資本とは特定の企業内でのみ価値を持つ技能、一般的人的資本とは他の企業へ移転可能な技能と定義できる。DX・AI関連の人的資本は、どの企業でも通用する人的資本であり、一般的人的資本に近いといえる。こうした技能は企業の中で育成するというよりも、流動的な人材市場で調達する必要に迫られているといえる。
以上述べてきた状況を踏まえ、企業のこれからの人材戦略として、次の三層構造から成る「ワークフォース・エコシステム」として整理することが有用である。
第一は、コア人材(正社員)である。これは、特に、企業固有の知識を担う中核人材である。第二は、専門人材(外部プロフェッショナル)である。ここでは、特定スキルを提供するフリーランスや副業人材を想定している。
第三は、エコシステム人材(ネットワーク型)である。アルムナイ、パートナー企業を想定している。AIエージェントもこの範疇に入るであろう。
つまり、これからの時代の人材ポートフォリオは、企業内部の人材だけでなく、外部ネットワークを含む形で構成される「ワークフォース・エコシステム」を目指すべきである。
雇用流動化と
生産性・イノベーション
従来型のメンバーシップ型正社員システムと「ワークフォース・エコシステム」の決定的な違いは、雇用の流動性である。メンバーシップ型はそもそも新卒一括採用・長期雇用が前提なので企業を渡り歩くような転職、労働移動が想定されているわけではない。一方、「ワークフォース・エコシステム」の専門人材やネットワーク人材は企業外部から獲得する必要があり雇用の流動性が前提となっている。
雇用の流動性が企業や経済にどのような影響を与えるかは、労働経済学における重要な研究テーマである。国際比較研究では、労働移動が活発な地域ほど知識の拡散が促進され、生産性が向上する傾向があることが示されている。「ワークフォース・エコシステム」の進展により自然な形で雇用流動化が進み、イノベーションが促進されることを目指すべきだ。
「ワークフォース・エコシステム」
の制度的課題
企業が外部人材を活用する際には、日本の制度環境にも課題がある。例えば、専門人材として、フリーランスや副業人材などを活用したい場合、こうした新たな働き方に対して制度が十分整備されていない。近年はフリーランス新法などの制度整備が進んでいるが、労働者性の判断基準や契約保護の枠組みは課題が残る。
また、企業内部でも、人事制度の変革が必要になる。メンバーシップ型雇用からキャリア・学びの自律性が担保されるようなジョブ型雇用への漸進的な移行がカギとなろう。特に、スキルベースの人事・評価システムを検討していくことが重要だ。
企業と個人の関係は
どこへ向かうのか
最後に、企業と個人の関係の将来像について考えたい。日本的雇用システムでは、企業と個人は長期的かつ閉鎖的な「運命共同体関係」にあった。一方、「ワークフォース・エコシステム」の時代には、この関係はより緩やかで開かれた「ネットワーク型関係」へと変化する可能性が高い。個人は一つの企業に依存するのではなく、他の企業とも協働していくという複線的な働き方が珍しくなくなるであろう。企業もまた、内部人材だけでなく外部ネットワークを活用しながら新たな価値創造を行うようになることが期待される。この変化は単なる働き方の多様化ではなく、企業組織と労働市場の構造的転換を意味しているのだ。