学校教員の教職観を研究 「手放す経験」で教員は成長する

「実践知のプロフェッショナル」人材を養成する社会構想大学院大学の実務教育研究科。本連載では、主に修了生がどんな課題意識のもと、研究や現場の実践をしているかを紹介する。

次第に増えていった
教員の仕事への違和感

山本 絢子

山本 絢子

学校法人勤務
中学・高校で計15年クラスを担任。体験学習やインクルーシブ教育について学び、カウンセリング委員を務める。学校組織開発を担う部署の立ち上げ期に関わり、教員研修を担当した他、進路部・教務部等も経験。2023年3月社会構想大学院大学実務教育研究科を修了。現在は小学校での非常勤講師を務める他、中高生向けの教材開発等に携わる。

近年、学校教育を取り巻く課題について社会の関心が高まっている。部活動の地域移行、小中学校のICT教育を推進するGIGAスクール構想など、学校や教員のあり方に大きな変化が求められる改革も進んでいる。その一方で、教員採用試験の倍率の低下や教員不足も指摘されてきている。

私は大学を卒業後、私立の中高一貫校で教員になった。教育という仕事は楽しく天職だと思っていたが、経験を重ねるにつれ、教員の仕事に関する違和感や疑問は増えていった。例えば、教員はプライベートな時間を犠牲にするような働き方を当然のものと期待されることが多い。また、アレルギー対応なども含む安全面に関する責任の急速な高まりなど、教科の内容を教えること以外の役割が増加している。

教科内容や教え方、評価方法などの変化に対応をしなければいけないが、周りにはその対応が難しい教員も少なからずいた。「変化の激しい時代に対応できる、社会で活躍できる」人を育てるのが教員の役割であるとも言われ、教員自身も変化に対応をしなければいけないが、それが実現できているとは言い難い現状がある。なぜ教員はこのような苦しい立場に置かれるのか、これが問題意識の出発点であった。

大学院での気づきから
教職観をテーマに研究

社会構想大学院大学に入学して気づいたのは、現場で感じていた不満や分かり合えなさが、優先順位の違いからくるものだったということである。大学院の授業で他の業界の人と話をする中では、そもそもの発想や考慮する範囲が全く違うことがあることを実感した。その経験を通して、教員同士で考えが食い違うように見えることはあっても、目の前の生徒の成長を願い、「生徒のためを思って教育活動に取り組んでいた」点では同じだということを改めて認識したのである。

また、自分自身の思考の癖にも気づかされた。正解を与えることだけが教員の役割ではないと理解しているつもりではあったが、正しい情報を元に論理的に考えればひとつの結論にたどりつくという考えが自分の中に根強くあることに気づいたのである。

このような経験を経て研究のテーマも具体的になり、最終的には、教職観の変化のきっかけになるような経験について扱うことにした。これまで、生徒のために夜遅くまで熱心に取り組む教員は、良い教員として評価されてきた。しかし、教えることから学びを生み出すことへと教員の役割が変化し、同時に教員の過剰労働が問題となる中、教員自身がイメージする理想の教員や理想の教育の姿そのものが変わる必要がある。

個人の成長に関わる環境として組織を見たとき、公立学校と私立学校では研修のスタイルや人事異動の関係で状況が異なるため、特に私立学校の教員にとっては、自覚的にそれまでの教育のあり方を「手放す経験」に意義があると考えるようになった。そこで、中学・高校の教員の成長を「自身の判断の根拠や思い込みを自覚し、教育実践を変化させることができる」ことと捉えた上で、そのような成長についてインタビュー調査を行った。

教員インタビューから見えた
「手放す経験」の意義

インタビューの結果から、それまで当然と思っていたような教育活動の仕方や生徒への接し方を少し変えてみると、見えてくるものが変わり、それがまた自身の判断の行動の元となる信念やものの見方、考え方を変えることとなる、という流れが明らかになった。また、先行研究では、組織としての取り組みの効果が指摘されてきたが、それに対し本研究では、教員の働き方の改善と学びの充実を両立させることに関して個人で取り組むことの可能性を示すことができた。

インタビューで印象的だったのは、なぜそれまでのあり方を手放し、教育実践を変化させることができたのかという質問に対し、どの教員も生徒の姿を理由に挙げたことである。教員の関わり方が生徒にどう影響を与えているのか、自身の関わり方は生徒に狙い通りに受け止められているか、効果を高めるためには何が必要なのか。生徒との関わりが契機となり、「手放す経験」をすることで教員は成長することができる。「手放す経験」は、単に仕事をしないこととは異なるのである。

大学院での経験の中で、「なぜ」と問うこと、問われることは、自分の考えを意識化・言語化することに大いに役立った。研究を通じて教育の役割や学習が成り立つ環境についても考えることが多くあり、自分自身の生徒への関わり方にも変化が生じている。

なぜ教員は学ばなければいけないのか。学びを押し付けられることは苦しいが、教員自身が豊かに学ぶことは学校に豊かな学びをもたらすために必要な経験であると、今の私は考えている。

photo by milatas/ Adobe Stocks