宿泊業の理論と実践を体系的に学べる高等教育機関を日本に誕生させるために

「実践知のプロフェッショナル」人材を養成する社会構想大学院大学の実務教育研究科。本連載では、修了生がどんな課題意識のもと、研究や現場での実践を行っているかを紹介する。

久保 泉

久保 泉

社会構想大学院大学 実務教育研究科 1期生
大学卒業後、日系ホテル企業に就職。ホテル運営現場経験を経て、2014年日系ホテルグループ運営会社へ転籍、海外ホテルの運営管理業務に携る。定年後のキャリアとして大学教員を志望し、2020年4月社会情報大学院大学(当時)「持続可能な次世代人材育成を探求する大学院教育プログラム」受講を経て、2022年3月実務教育研究科修了。実務教育学修士(専門職)。2024年4月より都内私立大学で宿泊産業論担当教員として教壇に立つ予定。

日本における宿泊業を教える
高等教育機関の不在

私は、宿泊業経営に必要な知識・技能を修得するための体系的な教育を受けずに日系ホテル企業に就職し、定年まで勤務してきた。そして、日常業務において直面する課題解決にあたり、自身の知識と能力の不足を痛感することが数多くあった。

私自身の勉強不足が原因であることは勿論だが、そもそも宿泊業経営に必要な知識・技能とは何か、それをどこでどのようにして修得できるのか、という疑問を抱えていた。理論化どころか言語化すらされていない、先輩上司の経験に基づく指導を受けながら仕事をしてきた、というのが正直な実感である。

一方、外資系ホテルでは、ホテル経営に関する体系化された専門知識を欧米等の高等教育機関において学んだ社員が経営を担っており、業績においても日系ホテルと比較して大きな差があると言われている。

この差を埋めるためには、これまでのサービス技能全般の修得を中心とした高等教育ではなく、宿泊業経営に必要な知識・技能を体系的に修得できる高等教育が必要なのではないか。このように考え、私は大学院で研究を行うことにした。

なぜ日本では宿泊業の理論と
実践が体系化されないのか

日本の宿泊業界全体が抱える生産性の低さ、人材育成の必要性等の課題に対して、観光庁、厚生労働省、一般社団法人日本宿泊産業マネジメント技能協会などが取組みを行ってきている。しかしこれらの取り組みは一体化されていないため、社会実装には至っていないのが現状である。

一方、欧米を始め諸外国では、1900年代初頭より高等教育において、Hotel Administration、Hospitality Management等の宿泊業経営に関する学問および教育体系が確立され、宿泊業界および関連領域に関する研究や人材育成が体系的に行われている。日本からそれらを学ぶために欧米の高等教育機関へ留学する人材がいることは、宿泊業界においてはよく知られている。

このことは裏返せば、日本では宿泊業経営に関する高等教育を十分に受けられないことを意味するのではないか。日本の高等教育には何が不足しているのか、どうあるべきなのか。この問題関心を解き明かすべく、専門職学位論文において考察を行った。

宿泊業に特化した
専門職大学院の設置を提案

まず、日本の宿泊業経営が抱える課題は、諸外国の宿泊業および日本国内の他の産業と比較して低いとされる生産性と、経営能力のある人材の不足の二つにあると考え、その要因を考察した。

そして、生産性向上および人材育成を目的として作成された、職業能力評価基準(厚生労働省)、ホテル・マネジメント技能検定(一般社団法人日本宿泊産業マネジメント技能協会)、大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準(日本学術会議)、および高等教育機関におけるカリキュラム等の文献資料に基づき、宿泊業経営に関する知識体系と教育体系の現状を分析し、課題を抽出した。

次に、上述の職業能力評価基準および日本学術会議参照基準が参考としているイギリスにおける、宿泊業経営に関する高等教育のカリキュラム改訂、および新たな職業教育の取組みとして設立されたEdge Hotel Schoolに関する文献資料に基づき、高等教育における人材育成と業界が求める人材の知識・技能との不整合と、それに対する改革について調査した。

そして最後に、宿泊業経営に関する知識・技能を修得する手段としてのOJTとOff-JTの補完関係について考察し、その上で、日本の宿泊業経営に関する職業教育のあり方と社会実装に関する提言として、専門職大学院設置案を提示した。

4月からは大学教員として
宿泊業の高等教育化を推進

大学院で履修したどの授業も脳が汗かくほど苦戦したが、暗黙知を言語化する重要性と自己成長への活用を学んだ「省察的実践」の授業と、私の大学生時代と大きく異なる現在の高等教育の在り方を学んだ「教学マネジメント」の授業はとりわけ役に立った。

幸運にも私は今年4月から、宿泊産業論の担当教員として大学の教壇に立つこととなったが、それにも大学院の授業が役立った。「実践教育プロジェクト演習」において、実際に担当科目を教えることを想定したシラバスの作り方、授業の構成、評価方法、模擬授業など、大学教員を目指す実務家に必須の理論と実践を学んだことは、採用試験において大いに役立った。

大学院で研究し、学んだ理論を4月から授業において実践することで、宿泊業経営の実務能力を備えた人材の輩出に貢献したい。そのためにはまず、私自身の経験知を言語化し、そこから体系化した理論を構築すること、さらには、学生が授業で修得した知識・技能を実践に移せる能力を涵養する授業を組み立てることが必要であると考えている。