近世の和歌山県教育史 紀州で栄えた藩校、江戸より70年早い医学館

尾張徳川家、水戸徳川家と並び、徳川御三家の1つと数えられた紀伊徳川家が治めた紀州藩では、強大な権威と55万5000石の経済力を背景に、著名な学者を高禄で召し抱え、学問が盛んだった。藩校学習館と医学館、さらに庶民のための修敬舎を例に、紀伊国の教育を振り返る。

紀州に栄えた藩校「学習館」
家臣と子弟の教育に注力

世界初の麻酔手術に成功し、医学館の発展にも寄与した華岡青州。

世界初の麻酔手術に成功し、医学館の発展にも寄与した華岡青州。

出典:Wikipedia(パブリック・ドメイン, Wikipedia

紀伊国と伊勢国南部を治めた紀州藩に、初の学校が設立されたのは1713(正徳3)年のことだった。5代藩主徳川吉宗(よしむね)が和歌山城下に創設した「講釈所」(後に「講堂」と改称)である。当時これに類する藩校を開設していたのは、岡山藩・会津藩・佐賀藩など一部の藩だった。講釈所では藩の儒学者が「論語」などの講義を行い、170~180人の聴衆が集まったこともあると伝えられる。

後に10代藩主治宝(はるとみ)が1789(寛政元)年に就任すると、衰退していた講堂の増改築に着手した。1791(寛政3)年に完成し、…

(※全文:2303文字 画像:あり)

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