学ぶ力を引き出し高める「学習科学」という学問分野

本連載では、「学習科学(The Learning Sciences)」という最新の研究領域を核に、教育の二項対立的な議論を超え、私たちはどのように「人の学び」を捉えて、いかなる教育を実現していくことが求められているのか、事例を織り交ぜつつ考えていく。

教育の世界はなぜ「振り子」?

益川 弘如

益川 弘如

聖心女子大学 現代教養学部教育学科 教授
博士(認知科学)。専門は学習科学、認知科学、教育工学。一人ひとりなりに持っている「学ぶ力」を、対話を通して引き出す授業づくりや学習評価の在り方、ICT活用を追求している。また、学習観・授業観の変容に興味があり、子供たちや先生方が授業や研修を通して見直してゆけるような学習環境デザインに興味がある。

答えのある課題と答えのない課題、個別最適な学びと協働的な学び、コンテンツ中心とコンピテンシー中心、ドリル学習と発見学習、基礎基本の学習と応用発展の学習、教科の学習と教科を超えた学習。教育界では、二項対立的な議論が常に絶えず、分断的に位置づけられたり、片方が重視されると片方が軽視されたりするような、「振り子」のように振れ続ける歴史を繰り返しています。どうしてなのでしょうか。私たちは誰もが「教育」を受けてきた経験を持っており、そこで作り上げられた経験則「人はこういうふうに学ぶはずだ」「こういう教育がいいはずだ」という素朴概念に支えられているのです。そのため、誰もが学習や教育について考えを語ることができます。さらにはそれによって、授業実践が行われていたり、教育政策が動いていたりもするのです。

現代社会において当たり前のように存在する現在の公教育の原型は、産業革命時代以降です。そしてその姿が今現在も大きく変わることなく継続しています。一方、「人はいかに学ぶか」の研究は、研究者それぞれの仮説に基づきながらも、数々の証拠を積み上げ、いくらかは教育にフィードバックされてきました。

しかし、学習や教育に関するさまざまな研究結果は、どの時代にどのような前提のもとで示された結果なのかを精査しないと、先ほど紹介した二項対立的に出されているようなそれぞれの学習や教育に対して、効果を示す研究成果があったり、効果を示さない研究成果があったりと、様々です。そのため、自分の経験則と合う研究成果を見つけることができるため、経験則が補強されてしまいます。そのように考えてみると、各研究成果を自身の経験則と照らし合わせるだけでは、必ずしも経験則を見直すことにはつながらないのです。「人はいかに学ぶか」の研究を、歴史の時間軸に整理してみると、学習成果をどこに置くかの学習や教育のゴール、研究方法や分析方法など、時代とともに大きく変わってきており、それらを概観すると学習研究の最先端やこれから取り組むべき課題も見えてきます。

本連載では、「学習科学(The Learning Sciences)」という最新の研究領域を核に、教育の二項対立的な議論を超え、私たちはどのように「人の学び」を捉えて、いかなる教育を実現していくことが求められているのか、事例を織り交ぜつつ考えていきたいと思っています。

人はいかに学ぶか

著者の指導教員だった学習科学者の三宅なほみ教授は、以下の文章を遺しています。

人は小さい時から正解を与えられそれを覚えることだけを求められ続ければ,潜在的に自分で考え答えを自ら作り出す能力をもっていたとしても,この潜在能力が発現する機会がほとんどないから,当然自分で考えようとしなくなる.

この文章を紐解いてみると、1)私たち人間は、主体的に学ぶことができる存在であるが、教育環境のデザイン如何によっては、その学ぶ力を潰してしまう。2)知識とは自分で作り上げていくものである。3)自分で作り上げる経験の積み重ねが学ぶ力を育むことにつながる、ということが言えるでしょう。さらに遺稿では、「人は誰でも生まれ落ちた時から潜在能力として自ら考え答えを作り出す力を持っている」と仮定して、そのような学ぶ力を引き出していくような教育環境をデザインすることが重要だと指摘しています。

学習科学という研究領域は、1991年に学術雑誌、Journal of the Learning Sciencesが創刊され、2002年に国際学習科学会の設立となりました※1。まだまだ若い研究領域で、残念ながら日本国内では学会設立には至っておりませんが、日本教育工学会の中で、SIG-CL協調学習・学習科学として活動しています※2

※1 https://www.isls.org/
※2 https://www.jset.gr.jp/sig/sig-cl/

学習科学では、人がより賢くなる学習環境を追求し続けています。これまでの研究の蓄積により、能力は個人に内在する固定的なものではなく、能力は状況や環境次第で変化する動的なものだという社会的構成主義と呼ばれる理論に立脚しています。過去、心理学、認知科学などで取り組まれた学習研究の歴史を振り返ってみると、学習に対する考え方の「捉え直し」が幾度も行われてきました。

しかし、学校現場や世の中では、古典的な学習理論、いわゆる行動主義の考え方が根強く残っています。みなさん、ぜひ、本連載を通して、ご自身が持っている「人はいかに学ぶか」の素朴概念を学習理論と関連付けながら見直し、これからの未来に向けてのアクションを一緒に考えてみませんか?

国際学習科学会ウェブサイトのトップページ

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本連載について

次回以降、学習科学を支える理論的背景や、教育の二項対立に対してどのように考えていったら良さそうなのか、事例や証拠を示しながら紹介できればと考えています。

まずは冒頭で取り上げた、答えのある課題について学ぶことと答えのない課題についても学ぶこととは本質的に異なるものなのかどうか、考えていきたいと思います。次に、なぜ学びは一人の中で閉じないのか、対話的な学びが欠かせないかについて整理していきたいと思います。その上で、学校という枠組み、教科という枠組みの功罪、コンテンツの学習とコンピテンシーの学習との関係について考えていきたいと思います。

それらを理論的に整理した上で、実践事例や研究事例を紹介していきながら、ドリルやテストをどのように捉えていったらいいのか、小学校、中学校、高等学校といった校種ごとの検討や、ハイステイクス・テストを挟んだ高大接続、さらには社会に出た後の学びも含めながら、学習科学の視点から学びについて考えていきます。

これらを通して、私たちが一歩一歩、少しずつでも歩んでゆくべき方向性について考えていきたいと思います。そこでは、先生方のネットワークコミュニティ構築の重要さ、そして、教育実践者、教育政策者、さらには保護者や教育産業、社会を巻き込んでいく形で、教育に関係するすべての人たちが対話しながらより良い教育を作り上げていくよう環境を構築していくことの重要さを提言したいと思っています。