より良い社会をつくるための公共政策学という学問
政策決定の改善を目的とする公共政策学という学問の知見をもとに、われわれはより良い社会をどのようにつくっていくか。本連載の第一回では、なぜ公共政策学という学問が提唱されたのかということに ついて、政策問題の特性と既存の学問の限界から説明します。
公共政策学?公共政策?

秋吉 貴雄
中央大学 法学部 教授
一橋大学博士(商学)。専門は公共政策学、政策過程論。主に、政策決定過程の理論研究と規制改革等の事例分析を行ってきた。近年は、政府組織における学習(政府学習)、政策プロセスのマネジメント、ルールチェンジ・ルールメイキングのプロセスと戦略といった領域に関心を持って研究を進めている。
社会科学に「公共政策学(Policy Studies)」という学問領域があります。私立大学を中心に総合政策学部という学部が設置されていますので、どこかで名前を聞かれたことがある方もいらっしゃるかもしれません。ただ、経済学、政治学、行政学といった学問に比べると、残念ながら認知度は高いとは言えません。
公共政策学の詳細は次回説明しますが、端的には「政策問題」と「公共政策」を取り扱い、政策決定の改善を目的とする学問になります。この説明を聞かれて、「政策問題?公共政策?」と思われた方が多いかもしれません。経済政策、教育政策であれば具体的なイメージが浮かぶかもしれませんが、「公共政策」では漠然としてよく分からない感じでしょう。
まず、政策問題とは社会で生じた不都合な状況で、公共的な解決が必要であると認識された問題のことになります。そして、公共政策とは社会が抱える様々な政策問題に対する「解決の方針」と「具体的な解決策」になります。例えば、商店街の衰退という問題であれば、その問題を解決するために、どのような商店街を再生するのかという「方針」と、商店街の各種施設整備や空き店舗活用策といった「解決策」になります。
政策問題の複雑性・悪構造性
「公共政策学」が政策問題と公共政策を取り扱う学問であるとなると、公共政策学に対して、政策問題の解決方針と解決策を開発し、最適案を選択する工学的な学問という印象を持たれるかもしれません。それは完全には誤りではないのですが、正解ではありません。なぜなら、政策問題には「複雑性」や「悪構造性」という特性があり、工学的な対応は難しいからです。
政策問題の「複雑性」として、第一に「総合性」という特徴があります。道路渋滞の問題は公共交通の問題や都市計画の問題等と密接に関係するように、政策問題は他の問題とも相互に関連しているため、総合的な対応が求められます。第二の特徴が「相反性」です。地域開発を進めると住環境の破壊に繋がるといったように、ある問題の改善は他の問題の悪化を招くことがあります。第三の特徴が「主観性」です。非正規雇用で生活に困窮する人が多数いる状況が生じていたとします。その状況を「政府の経済政策の失敗」と捉える人、「企業の社会的責任の欠如」と捉える人、「当人の自己責任」と捉える人がいるように、政策問題は人によって定義が異なります。さらに、問題の定義によって対策の方向性が定まるため、どの定義が採用されるか政治的な争いが生じます。第四の特徴が「動態性」です。学校でのいじめについて低年齢化やパターンの変化が指摘されるように、政策問題の構造は時間とともに変化し、以前の対策では解決できなくなります。
さらに、政策問題を意思決定問題として捉えた場合、大半の政策問題には「悪構造性」という特性があります。悪構造性の第一の特徴が「目的の不一致」です。何らかの意思決定を行うためには、目的を定める必要があります。しかし、地域の商店街の活性化の問題に関して、商店街の具体的な将来像には様々な意見があるように、社会で目的・目標が一致することは困難です。第二の特徴が「無限定な代替案」です。商店街の活性化の具体的な方策には多様で無限の選択肢(代替案)があるように、政策問題の解決案は範囲が無限定になりがちで、比較して選択することは非常に困難な作業となります。第三の特徴が「結果の不確実性」です。商店街活性化の具体策をいくつかに絞れたとして、それらが将来どのような結果をもたらすかは不確実です。政策問題の解決案の結果が分からない状態で選択を行わなければなりません。
既存の学問の限界と公共政策学
この複雑性や悪構造性という特性を有する政策問題に対応するため、公共政策学は提唱されました。「経済学等の既存の学問ではなぜ対応できないのか?」といった疑問を持たれる方も少ないかもしれません。
しかし、既存の学問では政策問題への対応にはいくつか限界があることが指摘されています。第一が「過度の専門分化」という問題です。学問はその発展過程において細かい専門領域に分かれたため、個々の専門の狭い視野から政策問題を検討せざるを得なくなります。例えば、通勤電車の混雑の問題について、経済学では運賃設定のあり方からアプローチします。しかし、単純な構造に見える電車の混雑の問題も、都市開発の問題や働き方の問題とも密接に関わるため、運賃だけで解決できる問題ではありません。
第二の限界として指摘されるのが「学問のための学問」という問題です。研究者はピア・レビューという同業者からの評価によってキャリアアップしていきます。そこでは、当該学問領域に対してどれだけ知的貢献ができたかが問われるため、政策問題の解決よりも「学問のための知識」が優先されがちであることが問題視されています。
第三の限界として指摘されるのが、これは第一の限界とも関連するのですが、「総合性の欠如」という問題です。例えば、電車の混雑の問題について、経済学、都市工学、経営学、行政学等の複数の領域から提言が出された場合、それぞれが問題の一部分を切り取って分析することになるため、単なる寄せ集めの整合性のない対策になる可能性が高くなります。また、円卓会議方式で各分野の代表が一同に集まって議論を行ったとしても、お互いのアプローチの理解に非常に時間がかかります。会話にならない可能性もあります。過度に専門分化した既存の学問では、学際的・総合的なアプローチが実質的に困難であることが問題視されています。
このような既存の学問の限界は最近言われ始めたわけではありません。実は第二次世界大戦前からずっと言われてきました。そして、そのような問題意識から、政治学者ラスウェル(Harold D. Lasswell)は新しい学問として「政策科学(Policy Sciences)」を提唱しました。当初は単なるスローガンレベルだったのですが、主に米国において1960年代後半から公共政策研究の重要性が認識されはじめました。そして、1970年代から多くの大学院で専門コースが設置され、「公共政策学」として研究が進められるようになりました。
本連載について
本連載では、よりよい社会をつくるための公共政策学の知見について説明していきます。まず、次回では公共政策学のアプローチの特性を概説します。次に、第3回から9回にかけて、政策問題の発見・定義、政策の形成・決定から実施・評価までの「政策過程」の各段階の特性と公共政策学の手法について、貧困問題や改正私学法といった具体的な事例とともに説明していきます。そして、第10回と11回で公共政策のマネジメントとガバナンスのあり方を説明し、第12回でわれわれはどのように公共政策学の知見を活用すべきかということについて説明します。