100年先の未来を見据えて、産学連携でリーダー人材を育成

盛岡市に本社を置くスタートアップ企業、セルスペクトは一関高専との共同講座を実施し、地域の人材育成に力を注いでいる。「重要なのは100年先を見据えて、未来を担う人たちに投資すること」と語る岩渕拓也CEOに、産学連携の狙いと今後の展望について、話を聞いた。

教育は国家百年の計、
次の世代への投資は不可欠

岩渕 拓也

岩渕 拓也

セルスペクト株式会社 代表取締役兼CEO
一関工業高等専門学校 客員教授
1978年生まれ、岩手県出身。一関工業高等専門学校を卒業、慶應義塾大学医学部総合医科学研究センター、大手診断薬メーカーを経て、2010年千葉大学亥鼻インキュベーションセンターにメタロジェニクス(株)を創業。新規な体外診断薬のライセンスアウトに成功した。その後、次世代の臨床検査システムの開発には、医工連携が必要であることから、盛岡市のテックカンパニーキャストとで、セルスペクト株式会社を設立、同時にいわて戦略的技術開発推進事業として、がん個別化診断のためのリキッドバイオプシー技術の研究開発を推進。医理工連携によるイノベーション事業を加速させている。

──セルスペクトは一関工業高等専門学校(一関高専)、東北ライフサイエンス・インストルメンツ・クラスター(TOLIC)との3者で包括連携協定を締結し、その一環として2022年から一関高専との共同講座を実施しています。なぜ、地域の人材育成に力を注がれているのですか。

セルスペクトは2014年に盛岡市で創業し、ディープテックによる新しい臨床検査システムの開発・製造・販売を手掛けるスタートアップです。コロナ禍が深刻化しつつあった2019年、当社はクルーズ船の臨床治験を敢行しました。最新の治験データを基にウイルス検査キットの迅速な薬事承認に成功し、厚生労働省の抗原検査供給拠点としても貢献しました。

当社には、全国の大学や研究機関との産学連携を展開してきた実績があります。それらは研究開発や知財の活用等によって、業績向上や企業価値を高めることを目的としたものです。一方で、今回の一関高専、TOLICとの産学連携は、地域の人材育成にフォーカスしています。

現在、当社は検査薬や検査キットが好調で着実に業績を伸ばしていますが、これまでの延長線上にある取組みだけでは、10年先、20年先の新たな成長は望めません。

教育は国家百年の計です。次の世代に投資し、社会の発展に資することは、私たちにとって不可欠な活動です。それは長期的な時間軸の話であり、目先の収益化につながるかどうかだけで評価できるものではありません。

私たちの共同講座で育った学生が、10年後に地域から世界を変えるような事業を立ち上げるかもしれない。そうした活動に参画できる企業は限られていますから、ものすごく貴重なことです。

また、私たちは学生を支援しているとか応援しているというよりは、教育の場に参画して、教える側・教えられる側の立場を超えて、お互いに切磋琢磨しながら共に学び合う機会をいただいていると考えています。

こうした教育に対する私の信念が、今回の産学連携の根底にあります。一方で短期的な話をすれば、当社の人材確保や採用活動の円滑化などのメリットも考えられます。ただし、それは結果的なものであり、目的ではありません。重要なのは100年先を見据えて、未来を担う人たちに投資することです。

医理工連携を推進する
リーダー人材を育成

── 一関高専との共同講座では、どういった教育プログラムを提供されていますか。

共同講座のテーマは、地域課題を通じて国際的に医理工連携を推進できるグローカルリーダーを育てることです。また、今回の共同講座では、経済産業省の「高等教育機関における共同講座創造支援事業」に岩手県の事業者として初めて採択されました。

共同講座では座学やワークショップ、フィールドワークにより「医理工連携」「テックフィン」「地方創生」「公益システム」の4つの領域を教えています。「医理工連携」では理工学と医学的見識を融合させ、国際競争のトレンドに対応できる開発戦略の設計能力を育成します。

「テックフィン」では、事業開発を加速させるために必要な資金調達の方法やファイナンスなど、経営について学びます。「地方創生」では、地域コミュニティの再生と創生を学び、デザイン能力を育成します。

「公益システム」では、現世代バイアスの解決と、将来社会の持続可能性を成すためのSDGs戦略、フューチャーデザインについて学びます。現世代バイアスとは、現世代での状況や価値観が過去や未来よりも優れていると思い込んでしまう認識を意味します。それに捉われていると、あるべき未来を想像して、そこから現在に必要な取組みを考えていくことが難しくなります。「公益システム」ではケーススタディ等を通して、現世代バイアスからの脱却を図ります。

セルスペクトは、臨床検査薬や検査キット等の製品を展開。共同講座の一環として、学生が実際に事業化を経験するプロジェクトを展開している。

セルスペクトは、臨床検査薬や検査キット等の製品を展開。共同講座の一環として、学生が実際に事業化を経験するプロジェクトを展開している。

また、実践プログラムとして「共同研究」を行い、当社の中長期パイプラインから研究テーマを採り上げ、事業化にチャレンジします。実際にアイテムを開発し、行政手続(薬事申請)を経て社会に流通させるプロジェクトを経験します。

共同講座ではこうした教育プログラムにより、地方創生戦略としての医理工連携を推進できる実践的エンジニアや、テクノロジーに精通しながらファイナンス戦略も立案できるアントレプレナー、持続可能な社会を目指した公益に資する事業を設計・推進できるリーダーの育成を目指しています。

また、各分野のプロフェッショナルが講師を務めていることも共同講座の特徴です。「医理工連携」の講義や「共同研究」の実践プログラムでは、優れた業績をあげている大学の研究者が講師を務めているほか、「テックフィン」「地方創生」「公益システム」の各講義では、第一線で活躍している県内の経営者やベンチャーキャピタリスト、地域活性を牽引している行政のキーパーソンなどが講師を務めています。私がこれまで出会ってきて「面白い!」と思える人たちに講師を打診して、客員教授として招聘しました。

一関高専において、共同講座「ヘルステック創生医理工連携講座」を実施。グローカルリーダーの育成を目指している。

一関高専において、共同講座「ヘルステック創生医理工連携講座」を実施。グローカルリーダーの育成を目指している。

当初の想定以上の成果、
スタートアップ予備軍も続々

──共同講座が始まって1年程ですが、これまでの成果や手応え、また逆に課題について、どのように感じていますか。

今回の産学連携事業では、2025年までのKGI(重要目標達成指標)を以下のように設定しています。

<地域産業>
・TOLICが応援するスタートアップ起業3社以上。そのうち時価総額10億円以上の企業1社以上
・SDGs推進事業3件以上
・TOLIC企業の総生産高30億円以上
・地域企業へのインターン就職者10名以上
<教育研究>
・共同研究による薬事申請3件以上
・知財出願3件以上
・査読つき論文3件以上
・産学連携競争的資金事業累計2億円以上
・産学官金共同事業5件以上

こうした数々の目標を掲げていますが、当初の想定以上の手応えを感じています。「TOLIC企業の総生産高30億円以上」という目標はすでに達成し、現在は70億円近くになっています。また、当社へのインターン希望者が増えているほか、一関高専からスタートアップ予備軍が続々と生まれています。

一関高専は私の母校ですが、在学当時は特別優秀でもなかった私のようなOBが、今こうしてスタートアップの経営者を務めているの見て、学生たちは「自分も起業できるかも」と思ってくれているのかもしれません。

また、課題としては、セルスペクトと一関高専の双方とも、連携して講座を運営する調整作業にまだ慣れていないところがあります。現在、一関高専とも議論しながら、連携を円滑に進めるための体制づくりを検討しています。

高専での学びは自身の原点、
大志を抱く若者を育てたい

──岩渕CEOは一関高専の出身ですが、高専という教育機関の強みをどのように見ていますか。

高専生は中学校卒業から5年間の本科の教育で、早い時期から知識や技能を磨き、卒業後は大学3年次へ編入したり社会に出たりします。一般的な高校生は、高校のカリキュラムの枠内で学びますが、高専生は飛び級的に、普通であれば大学で学ぶような内容にも取り組むことができます。

高専では年齢を問わず、本人のやる気があれば、どこまででも深く自身の興味・関心を追求できます。むしろ高専には、背伸びすることを価値と見なす雰囲気があって、そうした環境で10代を過ごしたことが私の原点の一つです。

高専の自由な風土と相まって、私は特定の専門性に執着することがありませんでした。もともと化学を専攻していましたが、大学院ではバイオ系を研究しました。「あなたの専門は何ですか?」と聞かれたら、私は「サイエンスです」と答えます。化学も物理も数学も、それらの根底にある原理はすべてサイエンスと言えます。こうした考え方だからこそ、「医理工連携」のような発想にも行き着いたのかもしれません。

私は特定の専門性を備えたプロフェッショナルではなく、いわば“素人”です。逆に言うと、垣根がありません。これからの時代に求められるのは、垣根がない教育だと思います。専門家は専門家であることに優越感を抱いていたらダメで、教える側・教えられる側の垣根を取り払って、混沌とした学びの場から新しい価値が生まれてくると考えます。

また、従来は知識偏重の教育が行われてきましたが、膨大な情報がインターネットに蓄積され、スマホ等ですぐに探せるようになった現代では、土台となるアカデミックな教養学問の重要性が高まっています。ビジネスパーソンにとっても、一度立ち止まって大学院等で学び直し、自らの土台を問い直す機会が大切だと思います。 教育が何のためにあるのかと言うと、夢を見出して実現させるためです。教育の先には、夢がなければいけません。大志を抱く人を育てることが、教育に求められています。

大志を抱くと周りから笑われるかもしれませんが、それでいいんです。私はいつも大きなことを言っているので、飽きれる人もいますが、一向に構いません。私はこれからも50年後、100年後の未来のために、教育や人材育成に取り組んでいきたいと考えています。