近世~近代の長野県教育史 普及率全国一の寺子屋で盛んな民衆教育

日本の屋根と呼ばれる信州・長野県。各地域は地勢によって分けられ、それぞれの特色を持ちつつ、独自の生活圏として自立してきた。そうした土地柄で育まれた近世における信州の教育の一例として、松代藩と高遠藩の藩校、さらに伊那谷に栄えた寺子屋と私塾が支えた民衆教育を振り返る。

近代教育の先駆けとなった
松代藩の藩校文武学校

江戸時代、信濃国埴科郡松代町(現在の長野県長野市松代町)の松代城を居城とした松代藩では、文より武を重んじる気風があったこともあり、1855(安政2)年になってようやく藩校文武学校が開校した。それ以前の学びの場としては、「稽古所」における儒学の講義があった。6代藩主の真田幸弘の時代、「これからは武芸だけでは十分ではない」との考えから、江戸の儒者・菊池千蔵(南陽)を招いて講義をさせたのが始まりだった。

稽古所は1811(文化8)年になると「学問所」と呼ばれるようになった。学問所で講義をし、…

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