エンジニア×デザイナーの共創で新たな価値創造を先導する人材を
東京工業大学、多摩美術大学、一橋大学がチームを組み、テクノロジーとクリエイティブの化学反応により新たな価値創造人材を育成するプログラム「テックリ」をスタートした。プログラム開発の背景や狙い、独自のカリキュラム内容について、東京工業大学教授の齊藤滋規氏に聞く。
3大学の強みを融合し
かつてないプログラムを組成
齊藤 滋規
VUCAと言われる変化の激しい時代に、旧来の価値観や論理に縛られない「新たな価値創造を先導する人材」の必要性が高まっている。
「Technology Creatives Program(テックリ)」は、東京工業大学、多摩美術大学、一橋大学が連携して開講する、社会人向けの新価値創造人材育成プログラムだ。文部科学省の「大学等における価値創造人材拠点の形成事業」に採択され2022年度からスタート。エンジニアとデザイナーがチームを組み、共に価値創造プロセスを学ぶ場として設計された。
テクノロジー、クリエイティブ、ビジネスの観点を俯瞰・統合し、これまでになかった製品やサービスの開発を通して新たな価値創造を実現する人材を育成するのが「テックリ」の使命だ。テクノロジーの東京工業大学、クリエイティブの多摩美術大学、ビジネスの一橋大学という、日本を代表する実績と教育経験を持つ3大学が組むことで、かつてないプログラムの組成に挑んでいる。
東京工業大学教授の齊藤滋規氏はこう話す。
「“日本を塗り替えよう”がプログラムの大きなコンセプトです。価値の本質を捉え、世の中の趨勢を見ながら企画立案し、具体的な製品やサービスとして世の中に出して流通させるところまで見届ける。イメージとしては、日本企業で人材不足と指摘される“プロダクトマネージャー”としての能力を持つ人材を育てることが狙いの一つです」
エンジニアとデザイナーの共創が
革新的な発想を生み出すカギに
プロダクトマネージャーは、鍛えられた高く幅広い能力を要求される職種だ。新たな価値を世に出していこうと思えば、1人ではなく多様な専門家と協業していくことも必要となる。同プログラムの対象者はエンジニアとデザイナーで「理工系またはデザイン系の専門スキルを持ち、原則として社会人経験3年以上を保有する者」となっている。
「いわゆる“How to make”を教えるだけではなく、エンジニアを価値創造のために鍛える社会人向けのプログラムは、これまでほぼ皆無でした。一方、デザイナーも、手技や職人技に長けているだけでなく、コンセプトメイキングをしながらエンジニアと協業ができるような新たな能力が求められています」
プログラムでは、エンジニアとデザイナーが業種を超えて共創活動に取り組むことで、それぞれの仕事や人生に大きな影響を与える経験を作り出し、テクノロジーとクリエイティブが化学反応を起こし、新たな時代の新たな価値を生み出す〈場〉を創り出すことを目指している。
デザイナー1人では“単なる作品”で終わるアイデアも、エンジニアと組むことで、製品・サービスという形で世の中を席捲することができる。
「エンジニアとデザイナーが真に有機的に働ける関係を作り出せれば、お互いの能力は爆発的に高度化します。少人数でも、企業の中にそうしたチームがあることによって、すごいパワーになる。新規事業が起こったり、製品・サービスの開発においても、全く違う次元のものが出てくるのではないか。そうしたことを狙って、プログラムを開発しています」
プログラムは4段階の構成
コアはデザイン思考の「探索」
「テックリ」のプログラムは「導入:15時間」「パーパス:23時間」「探索:47時間」「旅立ち:14時間」の4段階構成となっている。
齊藤氏が「コアはデザイン思考を中心とした探索だと考えています」と言うとおり、「探索」に47時間と最も多い時間を割く。
定員は20名で、エンジニアとデザイナー混合のチームに分かれ(3~4チーム)学びを進めていく。最初の「導入」はチームビルディングも兼ねて1泊2日の合宿形式で行う。「価値とは何か」「どのようにして社会に価値を生み出すか」を再定義し、「テックリ」が採用するアプローチや、デザイン思考の基礎を学ぶ。
続く「パーパス」では、アート思考を用いたパーパス設定ワークショップを行う。“モノの見方がすごく単調で狭い”のがエンジニアの傾向と齊藤氏は話す。そこを打破するのに役に立つのがアート思考だ。
「デザイン思考だけを小さく学んでしまうと、解ける問題にしがみつく。これだけの時間とお金をかけて、我々は、ちょっと便利なアイテムを1つ生み出す人材を生み出したいわけではありません。普通ではなかなか解けない、でも解くべき大きな課題は何かに注目するために、アート思考を経験し、パーパス設定を行い、“どういう未来を作るべきか”をきちんと捉えられる視野の広さを、まず持つことを重視しています」
最後の「旅立ち」はリフレクションワークショップによる振り返りと未来洞察を行う。本来、未来洞察をした後にデザイン思考をやる方が合理的に思えるが、その順番では、初学者にとって、教育的に有効でないことが多いのだという。
要は、誰もが未来の話をしたい。これからの価値をつくる。その時に、どこから情報を取ってくるかという話が身に付けば、学ぶ順番は逆でも構わない。自分たちのテーマに結果を出して、その結果がどんな未来の兆しを捉えているのかという話をした方が理解しやすいということで、あえて未来洞察をプログラムの最後に持ってきています」
講師陣には、齊藤氏をはじめ、多摩美術大学教授の永井一史氏や、同大学TCL特任准教授の石川俊祐氏、一橋大学教授の鷲田祐一氏、東京工業大学教授の妹尾大氏など多彩な顔触れが並ぶ。
デザイン思考は
万能ツールではない
プログラムの中でも最も大きな位置を占める「探索」では、チームに分かれ、デザイン思考とエンジニアリング思考による、課題発見・解決法提案のための長期PBLを行う。チームごとにテーマを決め、2週間に1回ピッチを行い、それに対して講師陣がフィードバックを行う。評価の基準は、“出してきた提案に対して心が動かされるかどうか”だという。心が動かされない場合は、どういったプロセスで提案を持ってきたのかをチェックする。
「ダメな理由は、多くの場合、ハッキリしています。着眼点のないユーザーリサーチや面白い話を聞いてきているのに表面的な解釈で止まっている。あるいは、奇をてらったアイデアで飛躍しすぎて、ユーザーリサーチから得たインスピレーションやもともとの狙いと乖離してしまうケースなどです」
特にエンジニアは、デザイン思考を学ぶと、プロセスを踏めば、どこからか新しいものが自動的に生まれてくると思いがちだ。しかし本来は、多面的な物事の捉え方や物事の深層を見る目を養うことが重要となる。
「デザイン思考は万能ツールではなく、料理で言えば出汁、背骨の部分で基本です。それを学んだからといって何でもできるわけではなく、それをどう上手く血肉にして応用できるようになるかが大切です。それを『探索』の長期PBLを通して理解していただければと思います」
「探索」で行ったPBLについては、プログラムの最後に行う成果発表会で発表する。2022年度の第1期、23年度の第2期とも多種多様なテーマで発表が行われた。例えば、1期生のチームは、“住まいの状況に合わせたお手軽リフォームによる新たな窓外体験”として都会でビルやアパートの立ち並ぶ狭い土地に建つ住宅の部屋に空を取り込むキットを提案。2期生のチームは、荷物の持ち運びを簡単にする“移動するロッカー”の発想から、収納ボックス付のレンタバイクを活用したソリューションを提案した。
成果に対し、最優秀賞などの選出はあえて行っていない。最も大事なのは展示したときの来場者の反応だという。
「隣のチームとのコンペティションになってしまえば、あまり意味がありません。教育的には、あくまでエキシビジョン。展示会で実際のユーザーからどんなフィードバックを得るかを重要視する。“これ、いくらだったら買えるの?”といった反応が、最上の誉め言葉ですよ」
第2期の成果発表会にはオンラインを含め約400人が訪れ、プログラム受講者の生み出した新たな製品やサービス、ソリューションに目が注がれた。
卒業生のネットワーク強化が課題
“日本を変えたい”人材を増やす
「テックリ」の受講者は、企業派遣が約6割。派遣元は、エンジニアでは大手電機メーカーをはじめIT系、化学系など。デザイナーは住宅設備系、空間デザイン系のほか、IT系や個人デザイン会社からも参加がある。
新たな取り組みとしては、この春から「オンライン講座NVCA」の公開を開始した。「テックリ」の講師陣が、プログラムでの学びの要素を約30分のミニレクチャーとして分かりやすく講義する。創造的発想からチームビルディングまで、チーム活動に欠かせないエッセンスを詰め込んでいる。
今後の課題としては、卒業生のネットワークの強化がある。
「リカレント教育の大きな価値の1つは、時間とお金をかけて学びに行った後に、職場では知り得ない他業種の人とネットワークを広げ、新しいことをやるときに礎にできることです」
「テックリ」では、第1期の受講生が2期で教え側に回ってTA(ティーチングアシスタント)を担うことも。教える側に回ることで、自身が学んだことが一層明確になるのと、次期生とのつながりができる。
「こうした仕組みを折り重ねて、ネットワークを育てていき、“『テックリ』に行くと自分の人生が変わる”くらいの勢いにしていきたいですね。“日本を塗り替えよう”をコンセプトにしているからには、“日本を変える”人材を輩出していかなければと思っています」
今年度の受講生については、正規の募集期間は終了しているが、7月中旬まで若干名相談可能とのことだ。エンジニアとデザイナーの共創による、日本を塗り替え、変革を生み出す人材の輩出が期待される。