実務家教員の役割とは

専門職大学や高等教育無償化などの教育改革では、「実務家教員」という名称が頻出する。なぜ社会に実務家教員が求められているのか、その役割や必要なスキルとは何か。

高度知識社会をめぐって

人生100年時代からはじまり働き方改革、人づくり革命、生産性革命など、課題先進国である日本をどうにかしようと政府と社会がもがいている。現代社会は成熟社会であり、ある意味で高度知識社会であるといえる。知識社会においては、知識が重要な資源でありながらも、知識そのものも不安定であり、常に変化をしていく。

したがって我々の社会は、たえず「新しい知の創造・活用・普及」を止めることなく続けなければならない。もちろん、知識に裏打ちされたスキルも例外ではない。

では、複雑化した現代の社会課題に対応するため多様な知やスキルをどのように獲得すべきなのだろうか。

伝統的に、新しい知を生み出す役割を果たしてきたのは大学である。ところが、従来の大学の学部などに代表されるような学問体系に依拠した知識生産だけでは、社会からの多様な知やスキルの要求に対応できなくなってきている。

既存の学問体系を越えた知の生産をいかにして行えばよいのか。昨今、大学改革が叫ばれているのは、社会との要求と学術が乖離しているというところに端を発しているといえるのではないだろうか。

実務家教員は、既存の学問体系を越えた知の生産を担う

実務家教員は、既存の学問体系を越えた知の生産を担う
(画像はイメージ)

社会から要求される多様な知やスキルの需要に応えるためには、社会のなかに分散し埋め込まれている知やスキルを掘り起こして新しい実践知=専門知として誰もが利用できるかたちにしなければならない。では、その社会に散在する知やスキルを実践知=専門知にしてゆく担い手は誰なのだろうか。それが学習と社会変革のエージェントたる実務家教員である。

実践知の形成

高度知識社会でのキーワードが「新しい知の創造、活用、普及」であるとするならば、実務家教員の役割も「実践知の創造、活用、普及」であるはずだ。ここで注目しなければならないのは、実践知である。実践知を厳密に定義しようとすれば、それだけで一つの論考になってしまうので、ここでは以下のように定義しよう。

実践現場に土着した知識であり、その実践現場固有の知見を体系化したもの。ただ単純にこれまでの暗黙知(経験知)を形式知(実践知)にすればよいのではない。

実践知は、共有可能性(説得性があり、他者に伝達することができる)と有用性(どのように役立ち、組織・社会に位置づけられるのか)を備えていなければならない。実務家教員は以上のような実践知を創造することが求められているといえる。

マイケル・ギボンズは、『現代社会と知の創造』のなかで、これまでの学問的な専門分野に依拠した伝統的な知識生産をモード1と呼び、専門分野を越えたいわゆる学際研究の形態をとった知識生産をモード2と呼んだ。

実践知はまさに成熟した社会において、モード2を越えて、実践現場から作り上げられる知識生産でありモード3という形態ではないだろうか。語弊を恐れずにいえば、いわゆる学知は現象を理解することに重きがおかれているのに対して、実践知は実践現場における課題解決をすることに重きがおかれて創造された知識といえよう。

実務家教員への期待 学習と社会変革のエージェントへ

実務家教員の定義は、じつのところ定まった厳密なものはない。少し歴史を遡ると、1985年、大学設置基準の教授資格に「専攻分野について、特に優れた知識及び経験を有し、教育研究上の能力があると認められる者」が追加されたところに端を発する。

実務家教員の重要性が高まったのは、高度専門職業人(高度の専門性が求められる職業)の養成を目的とした専門職大学院が制度化されてからである。実際、実務家教員は概ね5年以上の「専門分野における実務の経験を有し、かつ、高度の実務能力を有する者」(専門職大学院設置基準)と定義されている。

このように書いてしまうと、非常に敷居が高いように感じてしまうかもしれないが、そうは思ってほしくない。現代のように高度に複雑化した社会においては、それぞれの実務において多様な知やスキルが必要とされているのである。

皆それぞれが、状況にあわせた高度な実務の経験を有しているといってよいのではないだろうか。多様な知やスキルを要求される社会においては、それらに応える様々な実践知を教育することが求められるのである。

改めて実務家教員としての資質を確認すると、(1)実務経験・実務能力、(2)教育指導能力、(3)研究能力の3点であると考えている。それぞれ、ひとつずつみていくことにしよう。

最初の実務経験・実務能力については、もはや説明は不要であろう。

2つ目の教育指導能力は、実践知を実際に指導する能力のことを指しているが、それだけではない。どのように指導するのか計画を立てることも含まれるといってよい。すなわち、「知の普及」に関する能力である。

3つ目の研究能力であるが、研究能力が必要かという点は、意見が分かれるところである。筆者は多かれ少なかれ研究能力が必要であると考えている。

ここでの研究能力は、なにも研究論文を書くなどいわゆる研究者教員のそれとは違う。研究とは新しい知を生み出すことであるならば、実践知を創造することも研究の一つである。実務家教員の役割として「実践知の創造」は一つの役割であるはずだから、研究能力は持ち合わせている必要があろう。

2019年10月第3期開講 受講生募集

よく考えてみれば、実務経験・教育指導能力・研究能力はそれぞれ関連しあっている。つまり、自分の実務経験を振り返って、その経験を第三者から見てもわかるように体系立てて整理し、従来の通説(理論)と比較をする。体系だった経験知だからこそ、系統的な教育が可能となるわけである。

そうして蓄積された知が、新たな実務経験や専門職業を遂行する上での手がかりへとなる。つまり、実務家教員としての3つの素養は何も実務家教員だけにしか使えないものではない。何気ない日常の業務でも役立つ汎用性のある能力なのである。

実務家教員としての能力は、大学の教壇だけでしか役立たないものではない。企業や組織であっても必要とされる能力であろう。実務家教員は大学と組織を絶えず往還することによって、学習と社会を変革させるエージェントとなりうるのである。

文・川山竜二

社会情報大学院大学 研究科長、教授