専門基礎科目「情報リテラシー」情報社会で「教える側」が知るべきこと
「実践知のプロフェッショナル」人材を養成すべく、2021年4月、社会構想大学院大学でスタートした実務教育研究科。今回は「情報リテラシー」を紹介する。
なぜ「情報リテラシー」か
橋本 純次
実務教育研究科は、それまでの実務経験を基礎として教育プログラムや教育事業を構想し、社会に実装するために求められる一連の思想と技術を提供する社会人向け専門職学位課程である。学生は2年間の学びを通じて、自らの培ってきた実践知を言語化・体系化し、他者に伝達可能な形式へと変換していく。
その教育課程になぜ「情報リテラシー」なる授業が配置されているのか。実務教育学を究めようとする学生にとってこの授業がどのように役立つのか。そうした事柄を解説するためには、まずは本授業の名称から連想されるであろう誤解を解く必要があるだろう。
本授業は次の問いかけからはじまる。すなわち「①『情報リテラシー』を別の言葉で定義づけたうえで、②それを十分に身につけている人はどのような人か検討し、③それが欠如していることで何らかの不利益が生じた事例(ニュースや身の回りの出来事など)を共有しなさい」というものである。なぜこうした事柄を考える必要があるか。それは、現代社会において真に求められる「情報リテラシー(情報の読み書き能力)」とはいかなるものか、改めて見つめ直すためである。
情報リテラシー教育の
現状と課題
一般的な大学において「情報リテラシー」ないしそれに類似する授業は入学直後の1年生に配当され、表計算ソフトやプレゼンテーションソフトの使用方法を学ぶことが主たる目的となっている。しかしながら、それは「情報リテラシー」を冠する授業に本来期待される役割を十分に果たしているとはいえない。なぜならば、アプリケーションの使用方法やテクニックはあくまでも枝葉であるのにも関わらず、その幹となる「情報社会の捉え方」や「関連する学術理論」が教授される機会が欠如しているためである。また、組織内教育の場で「情報リテラシー」が扱われる場合、それは「リスクマネジメント研修」と同義であることがほとんどであり、それもまた不十分といえる。
ただ一方で、それらを体系的に教えることの困難から目を背けることもできない。その大きな原因のひとつは、国内外問わず「情報リテラシー」にはそれに準ずる多様な概念と定義が存在し、かつそれらが必ずしも整理されていないことにある。たとえば「情報リテラシー」には、J. M. Wingの提唱した「計算論的思考」や文部科学省の「情報活用能力の3観点8要素」、あるいは国立大学図書館協会の「高等教育のための情報リテラシー基準」、さらにはUNESCOの「メディア情報リテラシー」といった概念が含まれる。これらに加えて多義的な「メディア・リテラシー」や、隣接する学問領域からみた「情報リテラシー」のあり方まで加えると、それを教える、あるいは学ぶことの難しさは想像に難くないだろう。
「情報リテラシー」の再定義
しかしながら、少なくとも「情報リテラシー」は単なる技術ではあり得ないし、「炎上回避策」はその一側面でしかない。だからこそ、この授業を担当する教員は自らの理論的視座に基づいてそれを再定義し、そこから独自の授業を設計しなければならない。
本授業における「情報リテラシー」の定義は「①情報社会の限界を理解しつつ、②自分の幸福を実現するためにそれを利用する際に求められる視点と能力」である。履修者はこの観点から「情報社会の本質とはいかなるものか」、「産業界に求められる情報リテラシーとはいかなるもので、どうすればそれを教育できるか」といったテーマを学んでいくことになる。度重なるディスカッションを通じて、本授業の履修者はひとつのことに気がつく。すなわち「年代によって身につけるべき情報リテラシーは異なる」という従来の考え方は不十分であり、「情報社会で善き人間であること」こそが情報リテラシーの本質だということである。
本授業の最終課題は「特定の対象を設定し、どのような能力を身につけさせたいか言語化したうえで、8コマ以上30コマ以内(1コマ90分)から成る『情報リテラシー』の授業を提案しなさい」というものである。
実際に履修者が作り上げる授業案は新入社員向け講座、中間管理職のための教育プログラム、経営者向け授業など多岐にわたるものの、そのどれもが従来型の「テクニック教育」や「リスクマネジメント(炎上回避)研修」とは一線を画している。
冒頭の問いに戻ろう。なぜ本授業が実務教育研究科で開講されているか。その答えはふたつある。ひとつは「情報社会の特性とそこで求められる『情報リテラシー』を正確に理解することは、これから活躍するすべての教育者に必須の素養であるから」であり、もうひとつは「ある領域で所与の前提とされている教育を徹底的に疑う訓練を通じて、自らの教育実践の有効性を高めることができるから」である。
本授業は、情報社会を生きるすべての市民と教育者に求められる思想と技術を提供するものである。