世界最高峰の理工系総合大学を目指す、東工大の益学長が考える教育の未来
今年5月に公表された「教育未来創造会議(第一次提言)」。委員の一人である東京工業大学の益一哉学長に、これからの大学の在り方など話を伺った。
教育未来創造会議は、内閣総理大臣を議長とする、我が国の未来を担う人材を育成するため、高等教育をはじめとする教育の在り方について、国としての方向性を明確にするとともに、誰もが生涯にわたって学び続け学び直しができるよう、教育と社会との接続の多様化・柔軟化を推進するための議論を行う場として設置された。構成員として、9名の関係閣僚と、15名の大学や民間の有識者が名を連ねている。2022年5月10日に「我が国の未来をけん引する大学等と社会の在り方について」と題した第一次提言、2022年9月2日にその工程表が公表された。
今回は、教育未来創造会議(以下、「会議」)の委員でもある東京工業大学の益一哉学長に、第一次提言をまとめる際の議論の裏側と、益学長が独自に考える教育の未来、そしてこれからの大学のあり方について伺った。
世界のリーディング大学を目指す
理工系総合大学から見た課題

益 一哉
東京工業大学 学長
1975年神戸市立工業高等専門学校卒業後、東京工業大学工学部電子物理工学科3年次編入学。1982年同大学大学院理工学研究科電子工学専攻博士後期課程を修了。工学博士。同年東北大学 電気通信研究所助手、1993年同研究所助教授を経て、2000年東京工業大学精密工学研究所教授に着任。2016年に新たに設置された科学技術創成研究院の研究院長、2018年より学長に就任。東工大における教育改革をはじめ様々な改革に果敢に挑戦している。
江端 新吾
東京工業大学総括理事・副学長特別補佐/ 企画本部戦略的経営室教授、内閣府科学技術・イノベーション推進事務局上席科学技術政策フェロー。
文部科学省科学技術・学術審議会「研究開発基盤部会」の委員等を歴任。
植草 茂樹
公認会計士(事業構想修士、東京工業大学企画本部特任専門員、東京農業大学客員教授、(独)国立青少年教育振興支援機構監事)。
大手監査法人教育セクター支援室にて会計監査等を経験後、独立。内閣府「PEAKS会計・資産活用WG」主査、文部科学省「国立大学法人会計基準等検討会議委員」など歴任。
基本的な考え方として、「あるべき社会像」から「ありたい社会像」へ、「目指すべき人材育成に向けた方向性」から「目指したい人材像」へ改める必要があり、そのように修正されたことに感謝申し上げたいと益学長は会議の場で語った。
東京工業大学が教育改革に着手したのは2016年4月。益学長は、同年に新設された科学技術創成研究院の初代研究院長としてその教育改革に関わってきた。2018年に学長となり、最初に掲げたコンセプトが、会議の場で語った、「ありたい」社会に、どのような人材を「育てたい」かであった。これは東工大の指定国立大学法人構想の大きな柱を担う未来社会DESIGN機構(以下、「DLab」)の設立コンセプトでもあった。
DLabでは、東工大の学生や教職員だけでなく、高校生や企業、公的機関の人材など、産官学民の多様な参加者を得て、ワークショップを開催。2020年1月に現在の科学・技術の潮流や未来予測等から見通すことのできる未来と「ありたい未来」を掛け合わせた思考実験である24の「未来シナリオ」(図表1)と、それらを年代順にまとめた「東工大未来年表」を発表した※。その一部は、突然のコロナ禍によって早くも現実のものとなり、多くの関係者を驚かせた。
会議の場で、益学長が共有した中でも特に議論の必要性を強調した課題は、①連携によるネットワーク型の研究・人材育成、②博士後期課程学生への経済的支援、③理工系人材のジェンダーギャップ解消、④DXを活用した教育体制の構築の4つであった。いずれの話題も大変重要な課題であるが、教育未来創造会議における唯一の国立大学法人の委員としての立場からの意見は大変重要な視点であった。
※ https://www.titech.ac.jp/news/2020/046308
高等教育における理工系人材と
ダイバーシティの強化の重要性
「今回の提言をまとめる際に最も評価したいことは、教育というとこれまで初等・中等教育までの議論に限定されることが多かったのですが、それを高等教育にまで言及した点です」「日本の経済が停滞している30年の間に製造業以外の新たに成長する産業分野は出てきませんでした。新しい成長分野を創る原動力になる理工系人材、そして女子学生を始めとしたダイバーシティの強化が特に重要であり、まさに東工大がやりたいことそのものです」と益学長は語った。
東工大は、新たな経営戦略となる第4期中期目標・中期計画(2022-2027年)の前文において「科学技術の再定義」「理工学の再定義」をキーワードとしている。東工大は教育改革の中で育成する人材像を「卓越した専門性とリーダーシップを併せ持つ人材」と定めた(図表2)。今後は大学が新たに成長する産業分野の開拓を先導するハブとして機能し、東工大は、これまで考えられなかった「ありたい社会」を実現するための、未来から考える研究開発、それに応じたデジタル人材の育成、リカレント教育のあり方を考えている。
ダイバーシティに関して益学長は特に女性比率に着目している。東工大における女性教員比率は10.6%、女子学生比率は17.1%(2022年5月1日現在)であることから、「ダイバーシティ&インクルージョン強化の視点から、東工大における女性比率を30%まで引き上げる議論が必要です」と益学長は語った。
まず第一歩として、8部局(理学院、工学院、物質理工学院、情報理工学院、生命理工学院、環境・社会理工学院、リベラルアーツ研究教育院 、科学技術創成研究院)全てにおいて、それぞれ1名の教授または准教授のポストを増設し、女性限定の教員公募を行った。
女子学生については、これまで東工大としても様々な施策を講じてきたが、益学長は抜本的な改革がさらに必要という認識を持っている。特に入試改革の推進が必要であり、それについては今回の提言以上に言及すべきと指摘した。
未来を担う人材を育成する
大学のありたい姿とは?
今回の第一次提言でも言及された大学法人のガバナンス強化。益学長は、「国立大学はまだまだ様々な形で手かせ足かせをかけられていることが多い。しかし日本の未来を担う人材を育成する上で、そのような規制はやめた方がよいと思います」「一般的な会社経営とゼロサム経営を強いられる国立大学経営は根本的に違うものです。民間から経営専門人材を登用することは問題ありませんが、それを何人とか全体の何%にするようにと言い出すと本来のガバナンス強化に繋がらないようにも思います」と改めて強調した。
図表3は、東工大がこれまでに行ったガバナンス改革の一部をまとめたものである。先に紹介した女性限定の教員公募については、教員選考が学長の下の人事委員会で全学管理されているという東工大のガバナンス改革の特色が活かされた事例の一つである。これらの改革はこれまでの東工大の歴史、文化を継承してきた賜物であり、益学長はそれをもとに、国立大学法人のモデルとなるような新たな経営スタイルの確立を目指し、様々な事業を手掛けている。
田町キャンパスの再開発という年間45億円もの収入を増やす事業の推進、東京工業大学附属科学技術高等学校の移転や、すずかけ台キャンパスの再開発を含む「キャンパス・イノベーションエコシステム構想2031」※の推進、直近では東京医科歯科大学との経営統合を含めた議論を開始するなど、話題は尽きない。これらの先進的な取り組みは規制緩和があってこそ。国立大学法人として国の期待に応えること、そのために統合報告書の公表をはじめとした情報開示の徹底とステークホルダーとの対話を重ねながら、益学長はさらなる戦略的な経営を実行しようとしている。
※ http://www.xcio.sisetu.titech.ac.jp/xcie2031/第一次提言のその先を目指して
一方で、「今回の提言では、高大接続、すなわち入試の議論は全くなされていない。そこを触らずして教育の議論はできないのではないか」と益学長は指摘した。益学長はさらに「行きすぎた入学管理はやめるべき」「1点差入試からの脱却」等が必要と語った。
また、DXの観点では「大学共通テストでのマイナンバー利用」についても独自の指摘をしており、全体最適を見据えた入試改革の議論は大変重要であるとの認識を示した。
さらに高大接続の観点を離れるがと断った上で、「これまで高専は即戦力となる人材育成をするという意味では大きな貢献があった。その一方で、設置から60年が経過しており、学ぶ分野など、今の時代や未来の社会に合わせたものになるとよいと思います」と高専出身者としての指摘も忘れなかった。多様なキャリアパスを描く高等教育の新たなあり方として、国はもっと高専を活用する必要があるのではないかという指摘は、益学長ならではであろう。
今回、ここには十分記載できなかった多種多様なアイデアが益学長の中にはまだまだありそうだ。東京工業大学は世界最高峰の理工系総合大学を目指し、日々進化している。そのリーダーとして、益学長の活躍には大いに期待したい。