哲学から公教育の本質を捉える 「自由の相互承認」の実質化へ
『教育とは何か』、『どうあれば〈良い〉と言いうるか』。哲学者・教育学者として、これからの教育の在り方を問う苫野一徳氏。教育委員会委員や学校理事を兼務し、多くの学校づくりに関わる苫野氏に、〈哲学〉の観点から捉える〈教育〉について語っていただいた。
現代の公教育の問題の根は、150年変わらないシステムにある
──哲学的に見ると公教育(学校教育)の本質とは何ですか。

苫野 一徳
熊本大学教育学部准教授
博士(教育学)。哲学者・教育学者。熊本市教育委員会委員。多様で異質な人たちが、どうすれば互いに了解し承認しあうことができるかを探究。主な著書に『愛』(講談社現代新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)、『別冊 NHK100分 de 名著 読書の学校 苫野一徳 特別授業『社会契約論』』(NHK 出版)など。
ひと言で言えば「全ての子どもたちが自由に生きられる力を育むため」に公教育は存在しています。ここで言う自由とは、「生きたいように生きられる」ということです。自分が自由に生きるためには、他者の自由も認めなければなりません。これを「自由の相互承認」と言います。お互いに自由な存在であることを認め合う、この「自由の相互承認」の感度を育む。これを土台にして、自由に生きられる力を育むのが公教育の本質だと、哲学的には言うことができます。
「自由の相互承認」という考え方自体はジャン=ジャック・ルソーや G.W.F.ヘーゲルといった哲学者たちが約250年前に見つけ出した近代社会の根本原理です。公教育は、法に並んでこれを実質化するための重要な土台として構想されました。
しかし実際に公教育制度ができたのは約150年前。この100年の間に、「自由の相互承認」の実質化という公教育の本質は見失われてしまいました。結局、公教育は当時、上質で均質な兵隊や労働者を作るための、富国強兵と殖産興業の具として使われたのです。
一気に大量生産型で教育を与えたことで、識字率を中心に教育水準は上がりました。しかし、その本質に基づかないような現状が続いたために、いま、大きな構造上の限界が来ていると言えます。
──問題の本質は何でしょうか。
いじめや不登校、勉強についていけず落ちこぼれてしまうといった現象の根本にある問題の本質は、「みんなで同じことを、同じペースで、同じようなやり方で、同質性の高い学年学級制の中で、出来合いの問いと答えを勉強する」という、150年ほとんど変わってこなかったベルトコンベア式の公教育システムにあります。
みんなで同じことを同じペースでやれば、構造上、落ちこぼれてしまう子ども達は当たり前に出てきます。学年学級制は、効率良く教育を与えるために、150年前にイングランドで開発されましたが、同質性の高い集団では、相互承認より、相互牽制や相互嫌悪が育まれやすく、空気を読み合うことが起こりやすい。現代の公教育の問題の根のほとんどは、このシステムにあるというのが、私の考えです。
個別化・協同化・プロジェクト化で、学校を信頼と承認の空間に
──教育を考える上で哲学はどんな役割を果たすでしょうか。
哲学の本質は「本質洞察に基づく原理の提示」にあります。物事の本質を洞察することで、それにまつわる様々な問題を解き明かすための考え方、原理を見出す。それが哲学です。教育に対する考え方や想いは人それぞれです。信念の対立の大嵐の中で、混乱する現場もあるでしょう。
そこで、そもそも「教育は何のためにあるのか」という本質が、誰もが納得できる形で解明されれば、「そのために何をするべきか」の足場ができます。この本質を洞察するのが哲学です。本質洞察なき思考を続けていては、信念の対立がいつまでも終わりません。
──理想の公教育とは?
「自由の相互承認」の実質化が公教育であるという、常にそこに立ち戻ることが大切です。この土台を敷いた上で、大きく3つの問いが立ちます。1つ目は「自由に生きるための力とは何か」、2つ目は「その力をどうすれば育めるか」、3つ目は「自由の相互承認の感度をどうやって育むか」です。
1つ目の「自由に生きるための力」の根本を、さしあたり「探究する力」と言うことができます。自分で問いを立て、自分の方法で、自分なりの答えにたどり着く。これは、自由に生きるための土台の1つです。
2つ目の問い「その力をどうすれば育めるか」については、当然、探究の経験をたっぷり積むことです。私は、「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」という理論を出していますが、これが1つの大きな方向性となります。
探究をカリキュラムの中核として、そこに最も多くの時間を割く。これが学びのプロジェクト化です。一斉カリキュラム、一斉授業というのは全員の学びを保証する上で大変まずいやり方なので、それを、自分のペースで自分に合った学び方で学べるよう個別化する。ただし、孤立しないよう、必要に応じて助け合える緩やかな協同性のある環境を作る。これが個別化と協同化の融合です。
個別化・協同化・プロジェクト化の融合が基本になると、「自由の相互承認」の感度を育む環境も作りやすくなります。例えば、学年や世代さえ超えたような共同のプロジェクトを進めていくと、多様な人との関わりが生まれます。多様な人がごちゃ混ぜになって、その多様性を活かし合ったり、認め合おうとする力を最大限発揮できるような環境を整えるのです。
あとは、何よりも学校自体が温かな場であることが大事です。先生はまかり間違っても、子どもの存在否定をしてはいけない。信頼と承認の空間として学校を作っていくことが基本かと思います。
150年続いたシステムの変革へ 公教育の構造転換に尽力
──11月に『社会契約論』に関する新刊を上梓されました。
NHK100分 de 名著 読書の学校というシリーズがありましてオファーいただいたのがきっかけです。ルソーの『社会契約論』は、いま多くの人が読むべき本だと思っています。民主主義の根本土台をこれほど根底から明らかにしたものは他にありません。民主主義の危機が叫ばれている今だからこそ、民主主義の本質は何かをもう一度理解し直し、これからどうアップデートしていくべきかを考える必要があると思っています。
──今後の展望は?
教育の哲学原理に関しては「自由の相互承認」の実質化ということで、自分の中では一旦、答えが明確になったと思っています。これを敷くことで、行政、学校、実践者の実践の土台を築き、支えたいと思っています。
例えば、現在、経済産業省の『未来の教室』の教育コーチもしていますが、そこでの実証事業を評価する際の3つのメタ観点を敷く仕事もさせていただきました。1つはその実証事業が一般福祉に資するものであるか、2つは子どもたちが自由に生きられる力を育んでいるか、3つは自由の相互承認の感度を育んでいるか、です。
熊本市の教育委員や多くの学校との関わりなどを通じて、様々な学校づくりにも参画しています。「自由の相互承認」の原理や「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」の理論などを基本に、150年変わらなかったシステムを変え、公教育の構造転換を、多くの人と共同しながら進めていきたと思います。