大学経営の意思決定を支援する 大学IRの普及と発展を目指して

大学が組織や教育研究に関するデータ・情報を収集・分析し、意思決定や業務改善に役立てる「大学IR」。文部科学省も教学IR体制の確立など推進する中、力を入れる大学も増えてきた。早くから大学IRの普及に向けて多方面で活動する東京科学大学教授の森雅生氏に話を聞いた。

大学IRを担う専門人材に
求められる3つの能力

森 雅生

森 雅生

東京科学大学 戦略本部 IR部門 部門長・教授
博士(情報科学)。2006年から九州大学大学評価情報室助教・准教授。大学評価・IRの研究と業務に従事。2015年から東京工業大学(現・東京科学大学)情報活用IR室専任教授。大学IRの普及と発展を目的に大学情報・機関調査研究会(MJIR)と国際会議 International Conference on Data Science and Institutional Research(DSIR)を設立。2019年、一般社団法人日本インスティチューショナル・リサーチ協会を有志と設立、会長(代表理事)として大学IRの普及に貢献する活動をしている。2020年には機関を対象とするORCID日本コンソーシアムの設立を有志とともに行い、ORCIDの普及と展開に寄与している。

近年、大学経営における意思決定や計画立案などを支援する取り組みとして「大学IR(インスティテューショナル・リサーチ)」が注目されている。大学IRは、組織、教育・研究、財務など大学の様々な活動に関するデータを幅広く収集、検証・分析し、大学経営や業務の継続的改善、外部への説明などに役立てる活動を指す。

大学内に専門の担当部署などを設け、エビデンスに基づいた戦略的な大学経営と教学マネジメントを目指す大学も増えており、文部科学省も教学IR体制の確立などを推進するなかで、IRは徐々に日本の大学にも普及しつつある段階だ。

2019年には、IRに関する研究や実践に資する協力体制の構築、国内外の研究者や関係団体の交流、実践成果の普及などを通じてIR活動の質向上を目指す「日本インスティテューショナル・リサーチ協会」が設立された。有志とともに同協会を立ち上げた東京科学大学戦略本部IR部門 部門長・教授の森雅生氏は設立した背景をこう話す。

「大学IRには、統計の知識と情報処理の技術、そして高等教育の文脈、この三つをすべて押さえた人材が不可欠です。当時、IRを担う専門人材が大学にほとんどいない状況でしたが、問題意識を共有する研究者も出てきましたので、大学の枠を超えた横の連携を作ろうと思いました。また、IRを手がける大学職員がいても、異動すると、蓄積したノウハウが失われてしまいます。その技能を継承できる仕組みも必要でした。そこで協会を設立したのです」

IRを体系的に学べる講座
東京科学大学の「IR論」

現在、協会の構成員は大学教員と大学職員が半々だという。データ分析のためのシステムの開発などを企業に依頼することもあるため、企業人も理事に加わっている。

協会では設立前の2017年に『大学IRスタンダード指標集』、2022年に『大学IR標準ガイドブック』など、IR実務者の手引きとなる書籍を出版した他、IR関連学術雑誌の編集・出版、年1回の「大学情報・機関調査研究会(略称MJIR)」などの研究集会や国際会議(略称DSIR)の開催といった活動実績を重ねてきた。

「大学にIRは必要不可欠と考える人、実効性のあるIRを推進しようと考える人、そうした人々が増えて、研究集会などに来てくださるようになりました」

一方、東京科学大学では、IRの普及と人材育成を目指して、2019年から同大学の社会人アカデミーで講座「IR論」を実施している。

「『IR論』はZoomによるオンライン講義で、春(4月~7月)と秋(9月~12月)に各16コマ程度(1日2コマ×8日)の講義を行っており、通年で20人から30人ほどが受講しています。IRへの関心の高まりを実感しています」

講義は、森氏をはじめ東京科学大学のIR担当教員の他、他大学の現場経験豊富なIR実務者(大学教員)を講師に迎え、IRの背景から基礎、応用まで体系的に学ぶことができる、IR担当者のスキルアップに役立つカリキュラムとなっている。

「統計の基本的知識をはじめ、学生調査の設計方法やパネルデータの収集法、データベース・データウェアハウスの構成方法、大学評価・大学経営との関係、研究におけるIRの方法論、IR組織の運営方法など、IR組織の立ち上げから軌道に乗せるところまで、IR業務を一通り俯瞰してバランスよく学べるよう、優秀な実務者に協力いただいています。また、理論だけでなく、データをもとにMicrosoft ExcelやAccessを使用する講習にも力を入れています」

出席・課題の提出状況について基準を満たした修了者には「修了証書」が交付される。修了生からは「IRについて体系的に学ぶことができた」「業務に直結するような話題と問題提起があり、大変有意義だった」といった声が挙がっている。

東京科学大学では、IR論の他にもIR普及に向けた取り組みがある。「大学向けIRコンサルテーション」だ。森氏を含め同大学IR専門スタッフが、IR情報マネジメントやIR組織マネジメント、研究IR、人材育成などIR関連の様々な相談にのる事業で、最初に無料カウンセリングを行い、必要に応じて有料コンサルティングに移行する仕組みだ。

「相談内容は様々で、IR組織設立のための資料をどう作るか、学生アンケートをどう設計するかといった内容が多いですね。中には、学内の委員会で報告するIRの手法について、我々が見るところほぼ100点満点の内容なのですが、“念のため確認してほしい”といった相談もありました。特に小規模な大学では、リソースに限りもあることから、様々な課題を抱えているかと思いますので、気軽に相談していただければと思います」

今後の普及に向けては
IR担当ポストの固定が必要

森氏は2020年、有志とともに「ORCID日本コンソーシアム」も立ち上げ、その運営委員会の委員長を務める。ORCID(オーキッド)とは研究者に付けられる16桁の「永続的識別子」を指し、世界の研究者と研究実績を確実に結び付けることで、研究者の所属や実績の把握、追跡などを容易にする。年間に公開される学術論文は300万本、査読審査を行う論文誌は4万2,500誌に達し、研究機関が多くの研究成果を確実に把握する必要性が高まるなか、2012年の利用開始以降、ORCID登録数は世界で550万超まで増加しているという。

「IRでは論文などの学術情報も数多く集める必要があります。世界ではORCIDによって研究者と論文がつながっている例が多いのですが、日本ではまだこれからという段階です。IR情報の重要な基盤の一つとして普及を加速していく必要性を感じています」

様々な取り組みを通じて大学IRの普及に邁進する森教授だが、今後のIR普及と発展のために必要なことについてこう語る。

「大学職員がIRを担当したり、期限付きでIR担当教員を雇用する大学も多いのですが、やはりIRを実質化していくにはポストを固定することが重要です。将来的には、教員格のポストを固定し、専任にしていくことが望ましいと思います」

IR担当者は学内で少人数であることも少なくない。学内で相談できる人がいなければ、オープンなコミュニティなので、協会にも参加してほしいと森氏は締めくくった。