生成AI活用で知の共通基盤を 博士課程教育と学際的越境の展望
文部科学省主導による「SPRING(次世代研究者挑戦的研究プログラム)」や「BOOST(次世代AI人材育成プログラム)」は、博士人材による異分野融合のイノベーションを目指す施策だ。その採択校である九州大学で、長沼祥太郎准教授が行う「AI共創型越境科目」の概要と意義を聞いた。
研究者をつなぐ生成AIの提案
学際的研究の進展を阻む要因とは
長沼 祥太郎
九州大学 未来人材育成機構 准教授
専門は大学教育学、学習科学、学際的学習論。研究テーマは、生成AIを活用した学際教育のほか、「理科離れ」の構造解明、TA制度やプレFD(PFFP)の効果検証など多岐にわたる。日本科学教育学会若手活性化委員会副委員長、同学会編集委員を務めるほか、静岡大学学習科学研究教育センターの学外研究員としても活動。国際共同研究プロジェクト「ROSES」に日本の代表として参画し、科学教育の国際比較研究を進めた。2025年大学教育学会奨励賞、2023年日本科学教育学会奨励賞、AXIES優秀論文賞など受賞歴多数。本連載で紹介される教育実践は、シンポジウムや国際学会、国際ジャーナルでの報告を通じて、国内外に展開され始めている。
文部科学省は科学技術振興機構(JST)を通じ、博士後期課程学生への経済的支援とキャリア形成支援を一体的に行う「SPRING」や、高度AI人材を育成する「BOOST」を強力に推進している。
九州大学は、これらの重点施策を実施。次世代の博士人材育成に向け、教育改革をマネジメントする「未来人材育成機構」を2023年4月に設置した。同機構の長沼祥太郎准教授は、学習科学の知見から教育現場における生成AI活用の研究と、学内外の教員に向けたFD研修を担っている。大学教職員における生成AIの活用状況について長沼氏は「昨今、生成AIの利活用に関して外部からのFD研修の依頼も増えていますが、多くの大学では、未だ一部のアーリーアダプターが牽引しているといった状況に感じます」と話す。
同学には、JSTのプログラムの一環である「K²-SPRING(九州大学・未来を拓く博士人財育成プログラム)」や、高度AI人材育成プログラム「K-BOOST」がある。長沼氏がこれらの学生を対象に実施する「AI共創型越境科目」では、学際的な共同研究実現に向けてAI等を利用した対面型でのディスカッションを行う内容で、国内にとどまらず、国際的にも関心を集めている。
多くの学際的プログラムでは、異分野の学生が集まれば共同研究が自然に発生すると考えがちだ。しかし、いざ対面すると、自己紹介や研究紹介に留まり、議論が深まらない傾向があった。同学では、出口として研究資金を支援する制度「院生融合プロジェクト」も設けられていたが、学際的共同研究に発展するケースは少なかったという。
「初動のテーマ形成過程が十分に機能していませんでした。博士課程の学生は、ある研究領域に特化した『狭く深い専門家』と自己認識しています。そのため他者の研究との共有部分を想定しづらいのです。そこで起点となる共通項、『ベン図の重なり』の部分をAIで可視化すれば対話の糸口になると考えました。AIが提示する複数のテーマ候補をたたき台として用い、議論を発展させる仕組みを設計したのです」
AIが導く専門性の再定義
定量分析が示す共創の核と変容
2年間の試行を経て2025年度から正式開講した「AI共創型越境科目」では、独自に開発した2つのAIツールを活用する。学生たちの研究情報から共同研究テーマを提案する「テーマ生成AI」と、議論のログ記録や文献検索を支援する「研究支援AI」である。プログラムは3日間の集中講義形式で、初日〜2日目は自己紹介とAIの生成したテーマの検証を経て、お互いの研究の相性を確認する。2日目後半からチームビルディングと研究計画策定を行う。最終日までに必要に応じてチームごとに再度集まるなどした後、3日目に研究プロポーザルの発表という構成だ。この中で起きる変容を長沼氏はこう語る。
「参加学生には、自らのアイデンティティの再定義が起きているようです。その理由は、AIが提示するテーマは、個々の専門性を拡張するからです。例えば、私の場合、学習科学、その中でも博士課程学生向けの学際的学習を現在専門としていますが、AIに私の研究情報を渡すと『このチームではあなたは教育評価の専門家として貢献せよ』と役割を位置づけられました。自分が認識する狭い専門性を『ベン図の重なり』部分の創出のためにAIが拡張するようです。また、同じ分野のコミュニティ内では競争心が働きがちですが、異分野の中では専門家として素直にお互いの専門性をリスペクトし合うことができます。尊厳が保たれ、自信を持って議論に参加できるようにもなるようです」
長沼氏は学習科学の手法を用いた定量的分析により、この効果を実測している。最終プレゼンに含まれる重要なキーワードを抽出し、アイディア同士の結びつきを測る「次数中心性係数」を算出した結果、AIが提示したアイディアが議論の初期段階で高い中心性を持ち、その後の対話の枠組み形成に寄与していることが確認された。さらに、メンバー間の関係性(チーム・ダイナミクス)にも変容が見られたという。
「ある4人のチームの事例では、当初、AさんはBさんとしか会話が成り立っていませんでした。AIが中立的な『共通基盤』として機能することで、Aさんは自らの役割を再認識し、主体的な発言ができるようになりました。CさんやDさんとも直接対話が広がる変化が見られ、グループ全体での多方向的な議論が深まっていったのです」
こうした共創の結果、研究プロポーザルの評価を行った一部の担当教員からは「このまま科研費に申請可能なレベルだ」という評価を得るような、先進的な共同研究テーマが続々と創出されているという。
AIが拓く新たな学際的越境
科目の効果測定のためには、受講後の追跡調査も重要だ。「AI共創型越境科目」の受講後に、自発的に「院生融合プロジェクト」に応募して採択され、共同研究を開始した事例も確認され始めた。今後の実践では、マルチモーダルなデータも収集し、学際的なコミュニケーションプロセスへの個々の貢献度をより詳細に計測したいと話す。さらに、本プログラムを体験した大学院生が、自らのチームの状況に合わせてAI自体もデザインしていくことも期待。AIと学生のコラボレーションを進化させていく狙いだ。
長沼氏の取り組みは、「越境コンピテンス」をもつ博士人材の育成に大きく寄与するものだ。自己の専門領域や所属組織を越え、異なる専門知識を持つ他者と主体的に対話を行い、協働できる能力である。次世代の研究活動を担う博士に求められる重要な資質といえる。
「今は学際的研究の初期段階で、生成AIが補助的役割を果たしているにすぎませんが、将来的には分野横断の共創を支援する『共通基盤』になりうると考えています。学内の異分野の研究者同士のマッチングのみならず、組織の枠を超えた複数研究のマッチングや、研究施設の共同利用の最適化など、あらゆるリソースの組み合わせを導き、研究力強化を図れると期待しています」
こうした大学教育におけるAIの活用事例は、初等中等教育へは応用はできないだろうか。
「現在、学習科学を含め、教育学研究の知見を詰め込んだ『AI相談ボット』を九州大学の教員に配布する構想を検討しています。同様の構想は、小中高の現場への展開も有効だと思います。悩んだ時に、自身の授業設計や経験値を科学的根拠や確立された理論に基づいて検証し、アドバイスもしてくれるAIです。多忙な先生方の心強い伴走者、AIパートナーにもなるはずです」