仮設住宅から探究学習にも活用 インスタントハウスが拓く未来

短時間で建築できるテント型シェルター「インスタントハウス」。発想の原点は、名古屋工業大学の北川啓介教授が、東日本大震災を訪れた避難所にあった。建築の常識を根本から見直し、現地の声に応える形で実用化されたその軌跡と、探究学習プログラムでの展開など話を聞いた。

「来週、家を建ててよ!」
小学生の一言が開発のきっかけに

北川 啓介

北川 啓介

名古屋工業大学大学院 工学研究科 教授
株式会社LIFULL ArchiTech 共同代表
愛知県名古屋市の和菓子屋に生まれる。1999年ニューヨークの建築設計事務所にて建築設計に従事。2001年名古屋工業大学大学院工学研究科社会開発工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)。同大学助手、講師、准教授を経て2018年から現職。約20年の国内外での建築設計や建築教育の経験を経て、知財をもとにした未来志向の建築や都市を考案し、実用化した上での事業化を推進。2017年米国プリンストン大学客員研究員。建築構造物領域のプロフェッショナルであり、インスタントハウス技術の考案者。受賞歴に科学技術分野の文部科学大臣表彰など。

── テントシートを空気で膨らませ、内側から断熱材として硬質発砲ウレタンを吹き付け施工する「インスタントハウス」は、断熱性や耐久性に優れるだけでなく、耐震性や耐風性にも備え、様々な土地に短時間で設置できるため、被災地での迅速な住まいの提供をはじめ、多方面に活用されています。先生が開発に至った背景をお聞かせください。

北川 私は2001年に名古屋工業大学大学院を修了し、その後、同大学で建築設計の教育・研究に携わってきました。転機となったのは、2011年の東日本大震災です。名古屋でも大きな揺れを感じましたが、当初は専門外だと考えていました。

ところが、建築設計の専門家の視点から意見を聞きたいと、ある新聞記者の方に誘われて訪問した仙台・石巻の避難所で、小学生から「なんで仮設住宅ってそんなに時間かかるの? 大学の先生なら来週、家を建ててよ!」と言われたのです。その言葉が胸に刺さり、「命を守る建築」という視点に初めて向き合うことになりました。

その夜、「来週建てられる家とは何か」と考える中で、建築の常識そのものが大きな制約になっていると気づきました。重い部材、専門技術の必要性、輸送やコストなど、40項目以上のできない理由が並びました。

次に、それらすべての対義語として、「軽い」「特別な工具がいらない」「一人で運べる」など、実現に必要な条件を洗い出しました。そして、名古屋に戻った私は、駅でダウンジャケットを取り出して羽織ったとき、ぺたんこに畳まれていたものがふわっと膨らみ、暖かくなる感覚に、「これだ!」と直感しました。

収納性、展開性、断熱性を兼ね備えたダウンジャケットに、理想の構造のヒントを得たのです。そこから研究と実験を重ね、実物大のモデルへとたどり着いていきました。

また、2016年9月、パン屋でフランスパンを見て「この中に住んだら気持ちよさそう」と思ったこともヒントになりました。小さな生地が膨らんで軽く仕上がる構造が、自分の構想と重なりました。翌月には屋外で実証実験を実施し、現在のインスタントハウスの原型が完成しました。

断熱性や耐久性に優れるだけでなく、耐震性や耐風性にも備え、様々な土地に短時間で設置できる「インスタントハウス」は、被災地での迅速な住まいの提供だけでなく、グランピング施設やイベントスペースなど多方面に活用されている。

── 2017年、プリンストン大学の客員研究員として、なぜ渡米されたのでしょうか。

北川 インスタントハウスが世界で必要とされるものなのか。それを確かめるには、現地の声を直接聞くことが不可欠だと考えたからです。学生時代に読んだ『世界がもし100人の村だったら』という本には、「地球上の10人に1人が満足な住まいに住んでいない」と書かれており、建築を学ぶ者として胸が痛んだ記憶がありました。

原型を完成させた2016年に調べたところ、「9人に1人」が不十分な住宅環境にあるとされ、状況はむしろ悪化していました。だからこそ、自分のつくった住まいが、世界の課題に応えられるのかを現地で見極めたいと思ったのです。

リンストン大学は、ニューヨークから電車で約1時間の距離にあり、国連や国際NGOなど、世界の住宅課題と向き合う機関にもアクセスしやすい環境でした。私はそれらの機関と何度もヒアリングを行い、短時間で設置できる軽量住居へのニーズが存在することを実感しました。

帰国後は、より現場で使いやすい形へと改良を重ね、2019年に大学発ベンチャーの株式会社LIFULL ArchiTechを設立。2020年4月、初の実用モデルを完成させました。

LIFULL社との連携は、2017年、イタリア・ミラノでの国際見本市「ミラノサローネ」へ出展したことがきっかけです。初めて自分たちの技術でつくった作品を披露したところ、世界中の来場者から大きな反響があり、手応えを感じました。

その後、プリンストン大学へ渡航中に、国内外400社以上から事業化の提案をいただきましたが、当時の私はビジネスの知識がなく、どの企業が適しているのか見極めきれませんでした。帰国後も数百社と話す中で、社会貢献のビジョンを丁寧に語ってくれたのがLIFULL社でした。「5年後、10年後を見据えて、一緒に歩めるパートナーだ」と確信し、連携を決めました。

トルコ・シリア大地震、能登半島地震の
支援で「人の命を守る建築」の実現へ

── 初めて被災地で使われたときのことをお聞かせください。

北川 2023年2月のトルコ・シリア大地震が最初です。翌月、トルコの知人たちからの要請が相次ぎ、すぐに現地入りしました。被災地の知事や日本政府と調整を重ね、4月にはトルコ南部のアンタキアに3棟を届けました。その後、9月に発生したモロッコ大地震でも支援を行っています。トルコやモロッコでは性能だけでなく、文化的・心理的側面でも高い評価を得ました。特にドーム形状は「モスクのようで心が落ち着く」と言われ、安心感を提供する空間としての価値も実感しました。

── 国内で広く知られるようになったのは能登半島地震でした。

北川 元日の夕方、自宅で揺れを感じた瞬間に「行こう」と決意し、資材を積んでその日のうちに現地入りしました。とにかく「命を救うために、今できることを」との一心でした。結果的に、屋内用が約1,100棟、屋外用が175棟整備されました。

その後、9月に豪雨による土砂災害が懸念される中、再び現地に赴き、追加の支援を行いました。これにより、最終的に屋外用のインスタントハウスは250棟に達しました。

この支援には個人的にも強い思いがありました。2011年、石巻で小学生に言われた「来週、家を建ててよ!」という言葉が、開発の原点だったからです。

今回はその“宿題”に、ようやく応える機会となりました。避難所の体育館に屋内用インスタントハウスを設置すると、子どもたちが「一緒に作りたい」と集まり、完成時には3歳の女の子が「おうちができた!」と叫んでくれた。その言葉は今も心に深く残っています。

「備える学び」を日常に
学校で探究学習プログラムを展開

── インスタントハウスを学校での探究学習に活用されています。

北川 背景には「災害が起きてからでは遅い」という強い危機意識があります。最近注目される「フェーズフリー」という考え方は、日常と非常時を分けず、平時から災害に備えるというものです。災害が起こると、人は衣食住や家族、コミュニティなど生活の基盤すべてが失われます。

日本の防災体制は、まず「命を守ること」や最低限の支援には対応していますが、それだけでは十分とは言えません。国際的な視点では「尊厳ある暮らし」を早期に取り戻すことが重要とされているのです。

たとえば、イタリアでは災害後72時間以内に、被災地にシェフやソムリエが入り温かい料理を提供します。台湾では地震翌日に、マッサージやアロマのコーナー、大道芸人も派遣されるなど、「心の復興」が重要視されています。

一方、日本には「我慢する」文化が根強く、心のケアや快適性は後回しにされがちです。だからこそ、こうした国際的な価値観を教育現場で伝えることに大きな意味があると考えています。

── 名古屋市立瑞穂ケ丘中学校での探究学習プログラムでは、どんな授業を実施されたのですか。

北川 瑞穂ケ丘中学校は避難所指定校でもあるため、授業ではまず冬や夏に避難する状況を想像してもらい、「今できる備えは何か」を問いかけました。

例えば、避難所でのプライバシー確保や、感染症対策としての個別空間の提供など、具体的な利用シーンを想定してもらいました。

そして、実際にインスタントハウスを校内に設置し、生徒たちに体験してもらうと、「体育館より暖かい」「こんな使い方もできそう」といった意見が自然と出てきました。

名古屋市立瑞穂ケ丘中学校では屋外用「インスタントハウス」を活用した探究プログラムを実施した。

「学校が地域の拠点になれば安心できる」と気づいてもらえたのが何より嬉しかったです。

今後も全国どこでも出張授業を行いたいと思っています。子どもたちの自由な発想には毎回、私自身が学ばされています。

「街中でも使えそう」「こういう避難経路があったらいいよね」と、そうしたフレッシュなアイデアは、大人が見落としがちな可能性を教えてくれます。

より進化するインスタントハウス
北川氏が描く未来の姿

── インスタントハウスの今後の展望をお聞かせください。

北川 インスタントハウスはすべての部材がパーツ化されており、断熱材も再利用できます。廃棄物を出さない設計は、SDGsにもつながる持続可能な建築の実践です。

断熱材に使用している硬質発泡ウレタンは、空気を多く含む構造により、断熱性を保ちつつ素材の使用を最小限に抑えていますが、さらに「もっと良い素材はないか」と模索を続けた結果、現在は廃棄物を活用した建築、なかでもフードロスに着目した研究に注力しています。

米やジャガイモなど、でんぷん質の副産物を100%活用した「食べられる家」の開発がその一つ。大学や大手製菓メーカーと共同研究を進めており、夏前には初披露を予定しています。

この取り組みは素材循環にとどまらず、教育や自立支援にも発展しています。難民キャンプでは、単に住居を提供するだけでなく、現地の人々が自分たちで建てられるよう技術も伝えています。

教育現場との連携も進めていきたいですね。「来週建てられる家って、どんなのだろう?」、そんなシンプルな問いから始まったこの挑戦が、子どもたちの学びにつながる未来を目指していきます。