「越境」のフロントランナーが社会実装を目指して新団体を設立
組織の枠・境界を超え、異なる環境で新たな経験を得る「越境」。人材育成や組織活性化、イノベーション創出の観点から注目されるこの手法を大企業などに導入してきたローンディール創業者の原田未来氏が2025年7月、新たな団体を立ち上げた。その理念や活動内容を聞いた。
越境的なマインドセットを
持つ人をもっと増やしたい

原田 未来
一般社団法人 越境イニシアチブ 代表理事
2001年、株式会社ラクーン(現ラクーンホールディングス)入社。部門長職を歴任し同社の上場に貢献。2014年、株式会社カカクコムに転職し新規事業開発に取り組む。自身の経験から「越境」の重要性に気づき「レンタル移籍」事業を構想し、2015年に株式会社ローンディールを設立。経済産業省や経団連の主宰する「人材育成」「大企業・スタートアップ連携」等に関する検討会で委員を務めるなど、「日本的な人材流動化」を促進するために活動。2025年6月にローンディールの代表を退任、一般社団法人越境イニシアチブを設立し、代表理事に就任。
── 大企業の社員がベンチャー企業に移籍して価値創造や事業開発に取り組む「レンタル移籍」など、「越境」を軸に様々な事業を展開してきたローンディールの経営から退き、一般社団法人越境イニシアチブを設立されました。その背景について、教えてください。
原田 いくつもの要素が複合しています。まず、「越境」という概念が定着していなかった起業当時の10年前、「レンタル移籍」を事業化して何とか世に広めたいと思っていました。お蔭様で、それが持続可能なビジネスとして形になりました。
大企業の社員がベンチャーに参加すると、想像を絶する変化が起こります。それは実に感動的でした。幸いにもそうした事例が増え、越境が市民権を得ていったことを実感しています。一方で私個人としては、自分が直接現場に関わることが減り、役割が変わってきたことを感じていました。自分自身のインプットを増やし、活動のフィールドを広げていくべきではないかと考えるようになったのです。
さらに、これからの日本社会に越境が必要だという思いはますます強くなりました。今後、うまくAIを活用して仕事をしていくためにも、一人ひとりが様々な世界を知り、自身の主体性、オリジナリティーを高めていく必要があります。
当法人の設立メンバーで、理事として参画いただいた越境学習研究の第一人者である法政大学の石山恒貴教授は「例えば、漫画を読んでも、そこに違う世界を見出すなど、自分のアイデンティティーの中に越境があれば、それは越境だ」と語っています。何も大企業からベンチャーに行くことだけが越境なのではなく、そうしたマインドセットを持つことこそが重要だと思います。
人生のすべてをかけて違う世界に飛び込むのではなく、自分の一部分でも越境的な活動に配分するという形があってもいいのです。越境による人材の循環は、個々人が持つ知識や技術、想いといった「力」を社会に再配分します。
そうした営みが、組織や業界、地域などの境界線を超えて、新たな価値創造や課題解決を可能にし、社会全体をより良い形で進化させていくと考えているのです。
だから、私は一人でも多くの日本人が越境経験をするといいと思っています。そして、越境的なマインドセットを持つ人を増やしたいと考えると、企業の事業活動ではなく、何か別の組織を立ち上げたほうがその環境を整えやすいように思いました。
企業では、キャリア自律や人的資本経営などの一手段として越境を使うなど、どうしても部分最適の話になりがちです。私は、部分ではなく越境そのものを全体として考えたい。幸い越境学習が一定の認知を得るようになって越境的な事業を展開する企業も増えていますし、今回の一般社団法人の立ち上げにあたってはローンディールと競合するような越境事業者からも多くの賛同をいただきました。そうした人々と手を携え、越境それ自体の価値を伝えていきたいという思いが、設立の背景にありました。
個人が成長し組織が変わる
越境の持つインパクトとは?
── ローンディールでの10年間の実績と経験を経て、越境は個人や組織にどのようなインパクトをもたらすとお考えですか。
原田 個人にとっては、自分の限界値が引き延ばされるような感覚、効果があると思います。大企業からベンチャーの環境に身を置いてみると、今まで100%力を出していると思っていた自分がその限界を超えていけることに気づきます。
自分が思っていた以上に頑張れる。そうなると、自分から仕事を作りに行くとか、挑戦するようになる。そうしたマインドセットの変化、それがまず大きなインパクトです。
多元的な視点で物事を捉えられるようになる点も大きな変化です。大企業のルールや風土しか知らなかった人がベンチャーを何社も転職しているような人に出会い、多様な考え方、立場を知って、立体的な見方ができるようになるわけです。
さらに自分の所属する組織の良さに気づく、客観的に見られるようになったという変化もあります。自分の会社には不満もあったけれども、逆にその良さや社会的な存在価値を再認識するということがあります。
ローンディールは2025年6月に「越境インパクト調査レポート」※を公開しています。この調査ではレンタル移籍を経験すると「巻き込み力」などのリーダーシップが強くなった(図)、「業務推進力」「仮説検証力」などのビジネススキルの向上のほか、エンゲージメントの上昇傾向も明らかになっています。
「仕事へのやりがい」や「仕事における成長機会」の認識から自分の組織で働く意義の再発見に繋がっていると思われます。よく「越境は離職につながる」と懸念する人事担当者もいますが、むしろ逆なのです。
組織へのインパクトに関しては、DE&I(ダイバーシティ〔多様性〕・エクイティ〔公平性〕・インクルージョン〔包括性〕)が企業になかなか浸透しない中で、実際に多様性のただ中に身を置き、経験値を上げて戻ってきた越境人材ならば、まったく異質な人材が突然入ってくる場合より組織を内側からじわじわと変えていく力がありますし、実際そうした組織的な変化が起きている会社も出始めています。
最終的には、越境マインドを持った個人個人が組織の様々なセクターに行き渡り、つながっていくことで、社会全体でみた時の最適なリソース配分が実現するのではないかと思います。
まずは三つの計画を実行
教育分野の越境も視野に
── 越境イニシアチブでは、「越境を社会に実装する。」という理念のもと、情報提供や越境事業の実証実験、プログラム設計・導入支援、関連の調査・研究といった事業内容を掲げています。具体的に、今計画されている取り組みはありますか。
原田 三つほどあります。一つ目は、ローンディールも含めた様々な越境事業者を集めたカンファレンスの開催です。当法人の設立に賛同の声を挙げていただいた多くの皆さんとともに越境の価値や意義を発信したいと考えています。
二つ目は、越境経験の見える化です。例えば、デジタルで証明・認証できる「越境パスポート」のようなものを作って、その人の越境経験が外部からも見えるようにすれば、個人の動機づけとしても役立ちますし、キャリアの後押しにも使えます。
三つ目は、今までにない越境プログラム、枠組みを作ることです。地域や教育などの文脈で「こういう越境学習をやりたい」といった話をいくつかいただいていますが、例えば事業性がありそうな場合には、ローンディールなり他の越境事業者なりに委ねる、実験的なプログラムになりそうな場合は当社団が引き受けるというように、柔軟な対応が可能な枠組みを構築したいと考えています。

個人・組織・社会にとって越境が当たり前になることを目指し社会システムとしての「越境の実装」に挑んでいく。画像は越境イニシアチブHP。
── 越境の考え方は企業間で広がりつつありますが、教育分野ではまだまだの段階です。教育、特に学校を対象にするお考えはありますか。
原田 実は、ローンディールでも一度だけ学校向けプロジェクトを実施したことがあります。2022年度に「地域・教育魅力化プラットフォーム」という島根県の一般財団法人と共同で行った「大人の地域みらい留学」という人材育成プログラムで、ある県立高校にビジネス経験豊富な大企業の社員が「留学」し、教育現場や地域の課題解決に取り組むという取り組みでした。
先生方からは、プロジェクトマネジメントや会議の進め方といったタスク管理においてビジネスのスキルがとても役立ち、刺激になったという声をいただきました。越境した大企業社員も多くの気づきを得ることができました。参加した社員は、社会の現場にある課題の奥深さをリアルに理解することができ、その後本業で取り組んでいる地域のDX支援においても、経験をふまえた説得力のある提案ができているということです。ただ、意義のあるプログラムではあるものの、企業がビジネスの一環として学校や地域に社員を送り込むことの価値はまだあまり理解されていません。その点、私たちのような一般社団法人の立場ならば、様々な提案ができるように思いますし、教育は今後、積極的に取り組んでいきたい分野の一つです。
── 最後に教育・学校関係者へのメッセージがあればお願いします。
原田 例えば、官公庁の皆さんが民間企業に身を置いてみると、自分の持っているスキルが思わぬところで役に立ったり、新しい発見や成長があります。同じことが教育関係者にも言えるように思います。とにかく行ってみないとわからないことは数多くあるのです。越境はリスクを取らなければできないというものではなく、いろいろな形で可能なものです。越境的なマインドセットを持って、とにかく活動してみるという考え方もあるのではないでしょうか。
私は『越境人材 個人の葛藤、組織の揺らぎを変革の力に変える(仮)』(英治出版)という書籍を9月下旬頃に出版予定なのですが、そこでは、越境の価値や意義についての解説に始まって、越境人材の活かし方、個人としてのマインドセットの持ちようなど、越境に関する様々なテーマについて語っています。
企業の人事関係の方々はもちろん、教育分野の方々にも、また一個人に対しても、今後の参考にしていただけるのではないかと思います。
越境は、個人の成長や組織の変容を促すために欠かせない、可能性豊かなアプローチであり、社会のあらゆる場面でその力が求められています。分野を超えて様々な人々の参画を目指すコミュニティである、この新しい社団において、越境の価値を広く浸透させ、越境が個人や組織にとって当たり前の選択肢になっていくことを見据えて、ますます尽力し、大きなうねりを創造していきたいと思っています。
※リーダーシップ、ビジネススキル、エンゲージメント、キャリア自律性、越境度の5テーマに関して、53項目の設問を設定。2024年末までにレンタル移籍を終了した245名を対象に回答を依頼し115件の回答を得たものを株式会社ローンディールが「越境インパクト調査レポート」として公開している。