「諦めない気持ち」を支えに、理論と実務の架け橋をめざす

平成元年に証券会社へ入り、以来36年にわたり金融の実務に携わってきた宮城潮氏。50代で大学教員という目標を定め、2つの修士課程と博士課程、そして「実務家教員養成課程」での学びを重ね、2025年に専任教員への転身を果たした。その道のりと現在地を聞いた。

金融一筋のキャリアの先に
大学教員という目標を定める

宮城 潮

宮城 潮

大阪国際大学 経営経済学部 経済学科 教授
1989年に慶應義塾大学を卒業し、野村證券に入社。債券・株式の引受などファイナンス業務に従事。日本輸出入銀行(現・国際協力銀行)への出向を経てJPモルガン証券に転じ、コーポレートファイナンス業務を統括した。その後、格付投資情報センター(R&I)で担当部長として信用格付やESGファイナンス評価のマーケティングを推進。早稲田大学大学院で公共経営修士、ファイナンスMBAを取得。2023年に社会構想大学院大学「実務家教員養成課程」を修了し、2025年に横浜国立大学大学院国際社会科学府博士課程(経営学専攻)を単位取得満期退学。同年4月より現職。共著に『金融経済と資産運用の基礎』。

「平成元年に証券会社に入り、ずっと金融業界にいました」

宮城潮氏のキャリアはバブル期に始まる。1989年に慶應義塾大学を卒業して野村證券に入社。ニューヨーク勤務や日本輸出入銀行への出向を経て、JPモルガン証券、格付投資情報センター(R&I)へと、一貫して金融の最前線を歩んできた。その途上で、大学の教壇に立つ機会も得た。2018年から19年にかけて、大学で「ファイナンスの基礎」を担当している。

「企業が大学に人を派遣して金融教育を行っていて、私もいくつかの大学で教えました。その経験がとても役に立ちましたし、教員になりたいという気持ちが強まりました」

大学教員になりたいという気持ちは、キャリアの後半にさしかかる頃からおぼろげに持っていた。それが明確な目標に変わったのは、50代に入ってからだ。2008年から2010年にかけて早稲田大学大学院で公共経営を学び、続く2015年から2017年にかけて同大学院でファイナンスを学んだことが、大きな転機になった。

「もう、しごきに近いくらいでした。難解な数式がこれでもかと出てきて、本当にしごかれました。この年齢になって、このまま終わってしまってはよくないと、強く思ったのです」

その思いは、博士課程への進学につながる。ただし修士課程と違い、博士課程では受け入れてくれる指導教員を自ら探さなければならない。探し歩いた末、2019年に横浜国立大学大学院の博士課程に籍を得た。以後6年間、働きながら研究を続け、2025年に単位取得満期退学している。

「ファイナンスMBAを取った時から、絶対に教員になると思っていました」と宮城氏は振り返る。その決意を形にする手立てを探していたとき、新聞で「実務家教員養成課程」を知る。

「教員になることに直結する課程があると知って、これはいいと思って受講しました」

個人調書、シラバス、模擬授業
養成課程で知った自らの至らなさ

養成課程では、シラバスの作成や教授法、論文執筆の基礎、そもそも実務家教員とは何かといった内容を体系的に学んだ。中でも印象に残っているのが個人調書の書き方だという。

「毎日の出来事を1ページ書くくらいの感覚で、やったことは全て書きなさいと言われました。私はこれだけやったと見せびらかす性格ではなかったので驚きましたが、選ぶ側は『この人は大丈夫か』という目で見るわけですから、きちんと書いた方がいい。ビジネスマンの文化とは違うところが、大きな学びでした」

シラバスの作成も、半年間の大きな課題の一つだった。細かな指導を受ける中で、到達目標を学生目線で「〜ができる」と書くこと、さらにコース全体だけでなく毎回の授業についても、その回で何ができるようになるのかを示すことを教えられた。

「この授業を受ければこういうことができると学生に分かるのがいい。今も授業で必ずそうしています」

そして、最後の課題が模擬授業だった。企業派遣の経験のあった宮城氏には、20分程度なら余裕だという「おごり」があった。結果は「けちょんけちょん」。態度がよくない、教え方もまずいと厳しく指摘された。

「正直、終わった直後はがっくりきました。でも後から考えると、本当にその通りだったのです」

同じ講座には、かつての勤務先の先輩も偶然参加していた。その授業は見るからに素晴らしく、良いと思ったところはすぐに取り入れた。外部講師として招かれた大学教員の「絶対に教員になることを諦めないでください」という言葉も、強く記憶に残っている。その教員はいくつもの大学に自ら足を運び、「私を採用してください」と売り込みに行ったのだという。

「そこまでするのかと驚きました。気持ちを持ち続けていれば、やはり実現するのだと感じました」

公募20校、諦めずに挑み
理論と実務の架け橋をめざす

大阪国際大学での授業の様子。

修了後、宮城氏はJREC-INを通じ通算20校の公募に応募。2025年4月、大阪国際大学経営経済学部の教授に着任した。選考の場でも、養成課程での学びが生きた。模擬授業では指摘されたことを全て直し、おごりをなくして臨んだ。博士課程の教員の助言に従い、Zoomで録画しては見返す練習も重ねた。

「選考側は学生目線でこの授業は分かりやすいかを見ます。この人は大学に来て、学生の能力向上に貢献してくれるか、という観点です。上から目線の模擬授業では通りません」

実務家が大学教員への転身を実現するために重要なことは何か。宮城氏はまず「気持ち」を挙げる。何十校も応募して落ちるのは当たり前で、そこでくじけないこと。修士課程2つと博士課程に進んだこと自体が、その気持ちの表れだったと振り返る。

「研究の実績では、ずっと研究をしてきた方にはかないません。だからこそ、学生に貢献したいという気持ちを伝えることです。実務家はアイデアやネタを持っているのですから、それを論文や著作の形にしていけば実績になります。できれば40代から準備を始めるといいと思います」

現在はファイナンシャル・プランニング論、マクロ経済学、国際金融論などを担当し、1年生から4年生までのゼミも受け持つ。研究面では「地政学リスクの高まりが資本市場に与える影響」をテーマに、論文を最近執筆した。今後もこの領域の分析を深めながら、理論と実務が乖離しがちなファイナンスの分野で、その架け橋になりたいと考えている。

最後に、転身を考える読者へのメッセージを尋ねた。

「教員になることはゴールではなく、実際はそこからまた始まります。それでも思いを持ったなら悔いなくやってもらいたい。私自身、模擬授業でけちょんけちょんにされましたが、あの養成課程には本当に感謝しています」

 

この記事の著者

■著者名■

■役職■

■説明■

■著者名■